箕島高校 尾藤公監督 1 ~甲子園で選手の能力を100%出す秘訣~

田舎の公立高校をトップレベルに引き上げて、春夏連覇を含む、四度の全国優勝。
記憶に刻み込まれる数々の名勝負と
あの尾藤スマイルを懐かしむファンはいまだ多い。
日々のグラウンドには、自分の全てをさらけ出し
子どもと常に正面からぶつかり合う、挑みがあった。
” 教えたではなく、教えられた ”
高校野球の名将は、そう言ってはばからない。

尾藤監督は昭和17年、地元和歌山県生まれ。高校は、後に監督になる箕島高校(和歌山県)その後近畿大学に進む。
現役時代のポジションはキャッチャー。
昭和41年より箕島の監督となり平成7年8月の退任まで甲子園出場14回。
春3回。夏1回の全国優勝を果たす。
春22勝5敗。夏13勝5敗という輝かしい戦績。
高校野球ファンなら誰でも知っている球史に残る名監督である。

JR紀勢本線の箕島駅。
小さな駅舎の待合には、両手を高々と上げて選手に胴上げされる尾藤監督のモノクロ写真が飾られていた。
もう何年も前の事なのに、往年の高校野球ファンにとっては永遠に色あせることのない懐かしき姿である。

だが尾藤監督は、かつての功績は「すべて選手のしたこと」と他人事のように口にして
過去へのこだわりを見事なくらい感じさせない。

尾藤スマイルが誕生した理由

甲子園大会の公式ガイドブックに「甲子園の思い出」と題したインタビュー記事が掲載され、テレビ解説や講演活動があったりと、甲子園出場14回、通算成績35勝10敗という輝かしい成績を残した名将の周辺は、勇退後も賑やかさを失わない。

日本高野連の常任理事(技術振興委員)を務めていた関係から、現役の指導者を前にして経験談を語る機会も多い。

その取っ掛かりの話題になるのが「尾藤スマイル」だ。

それは2度目の甲子園だった昭和45年春、選手のさりげないひと言がきっかけだった。

「内野手でやたら緊張する生徒がいましてね。エラーするやろうと思っていたら、本当にやった。あと3つはやるなと笑ったら、周りの子どもがね、そんな風に監督がニコニコしていてくれたらリラックスして力が出せる。そう言うんですわ。選手におだてられたんですわ」

この出来事がセンバツ初優勝を呼び込んで、さらには春夏連覇を含む4度の全国優勝を導き出した。

「笑顔は信頼を生む。そして笑顔は努力を支えてくれる。私の指導の支柱になりました。」

甲子園という大舞台で選手の持つポテンシャルを100%発揮させたのは尾藤監督の笑顔だったのだ。

次回は、激闘!星稜戦の詳細と「試合後の感動的なミーティング」について書いてみたいとおもう。

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