石川県屈指の強豪校を作り上げた星稜高校 野球部 山下智茂監督

スポンサーリンク

星稜の野球部グラウンドは、校舎から500mほど離れた小高い山の上にある。
両翼91.5m、中堅122mの立派な専用球場で、昭和60年に山を切り崩して作られた。
その先には平成4年、稲置学園(星稜の母体)創立60周年を記念する総合運動場が完成。

スラッガー松井はそれを祝うかのような通産60号本塁打を放ち、理事長を大いに喜ばせたという。

松井は唯一、フリー打撃でフェンス越えのできる選手だった。山下監督の家はセンター後方にあって何度も打球に襲われ屋根や窓ガラスが被害にあった。
台風も含め、雨漏りが絶えないと苦笑しながらも困惑の色はまったくない。

山下監督の原点をたどると、日々過ごすこのグラウンドに行き着く。
赴任した当初は校舎の現在テニスコートがある場所が練習場所だった。

もとはハス畑。地面が柔らかくて足を取られる選手が多く、バットよりスコップを持つ時間の方が長かった。

当時、部員は8人。人手不足の上に、雪の積もる冬の時期は大いに手を焼いた。
監督はそんなとき、授業の合間をぬってグラウンドに穴を開ける作業をする。

1日でも早く解かすために、光を地面に当てるのだ。それは専用球場になった今も続けられている。黙々と穴を掘り、静かに春を待つ。
毎日、真っ先にグラウンドを訪れるのも山下監督である。

「生徒はまだ授業中ですが、私は2時に来て草むしりをします。その間、今日の練習メニューや、あの子達をどう教えようかなど、あれやこれやと考えるんです。その間とてもいい時間です。」

本物のノックが打てるようになるまで

土のついた手をふと休めると、選手たちが授業を終え、ユニフォームに着替えて駆けて来る。

そして、つい今しがたまで考えていた練習メニューを実行すべく監督も動き出す。

やがて右や左に次々と放たれる、流れるようなノックが始まると、目を見張るような緊張感と活気が周囲を包む。

このノックが山下野球のもう一つの原点である。一塁手がボールに食らいついたかつかないかの間に、監督の身体は三塁方向に向けられボールが打ち出される。

選手はどんどん前に出て捕ろうとする。ある種の芸術性を感じてもおかしくないような光景だった。

「監督になったはいいが、当時は下手でね。本当のノックが打てんかったです。悔しいから毎日ひとりで練習しました。1cmでもいいから生徒の守備範囲が広くなればと思って」

冬は雪をかき分け、新聞配達が通る前に自分が道を作って学校に向かった。そして試合で飛んでくるであろうあらゆる打球をすべて打てるようになるまで、練習は延々繰り返された。

千本ノックを本当にやった時代もあった。選手も苦痛だが、ノックバットを振り続ける監督も一緒になって闘わなければならない。

手の皮が破れ血を出し、むき出しの肉にバットがくっついて離れなくなったという、今の時代信じられないようなエピソードは、山下監督ならではの事だろう。そして言う。

「自分の体力もしっかりしていなければいいノックは打てません。だから酒もタバコもやめました。少しでも長く野球をやりたいですから、今も生徒も一緒に走ったり筋トレで鍛えています。ノックバットを振れなくなったその時は引退だと思っています。」

ノックの最後に高々と見事なキャッチャーフライが打ち上げられた。

大学時代に浴びるほど飲んだ酒は、グラウンドにまかれただけだ。

「いつか日本一になったとき、思いっきり酒を飲み、タバコを吸いたいですねぇ。楽しみは先にとっておきます。」

スポンサーリンク

 

この記事が気に入ったらシェアして下さい。
執筆者のモチベーションUPになります。