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K-1の始まり、1993年に起きた第一回大会のビッグバン

 2017/01/16 格闘技
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格闘技好き、そうでもない人もK-1という競技には熱狂させるものがあった。
台本(ブック)なしの真剣試合。1発のパンチ・蹴りの破壊力。
今回はK-1のルーツともいえる第1回大会に焦点をあててみたい。

日本中が熱狂したK-1

1993年4月30日東京国立代々木競技場第一体育館において、日本をはじめ世界中の格闘技ブームに火を付けた「K-1」の第一回大会、10万ドル争奪格闘技世界最強トーナメント「K-1 GRAND PRIX‘93」が開催された。

本大会優勝者であるブランコ・シカティックを皮切りにアンディ・フグ、ピーターアーツ、アーネスト・ホースト、ブアカーオ・ポー・プラムック、魔裟斗といったスター選手が数多く生まれ、格闘技ファンのみならずお茶の間に興奮を与える年末の代名詞までに成長した「K-1」。一度はその歴史に幕を下ろしたものの、2014年に「新生K-1」として復活を遂げた。人気はうなぎ登り、ブームの再来を予感させる盛り上がりを見せているわけではあるが、そのルーツはあまり知られていない。ということで今回は「K-1」の始まりについて見ていこう。

K-1のKは格闘技のK

「世界最強の男は誰か。今夜その永遠のテーマに1つの答えが出ます。空手、キックボクシング、カンフーなど打撃系格闘技の頭文字を取ってその世界一を決めるという意味の大会」(実況より)

つまり「K-1」の「K」は格闘技のK。格闘技の大会というものは1つの競技においても複数の団体が存在するため、同階級のチャンピオンは1人ではない。

そのように大人の事情など様々な理由から真のチャンピオンは誰にも分からないという状況の中、史上空前のテーマを掲げたこの大会。団体はもちろん、競技の垣根までをも越えた立ち技格闘技世界一決定戦、それが「K-1」である。

ルールとしてはキックボクシングのそれとほぼ同じと言っても良い。何故ならキックボクシングもまた「K-1」と同じテーマの元で造られた競技であるからだ。

キックボクシングの誕生

キックボクシングの生みの親は、後に日本キックボクシング協会を設立した野口修氏である。昭和34年に記念すべき第一回の試合が行われたわけではあるが、そのころの日本の立ち技格闘技と言えばプロレス、空手、ボクシング。野口自身もプロボクサー、トレーナー、レフェリー、リングアナウンサー、プロモーターとしてボクシンクに携わっていた。

そんな中、バンコクでムエタイの試合を観戦した野口は一瞬で心を奪われたのである。タイではムエタイの人気は非常に高く、当時タイ人として初めてのボクシング世界チャンピオンに輝いたポーン・キングピッチでさえ、ムエタイ選手の人気には敵わなかったほどだ。

ボクシングの試合よりもダイナミックな迫力がムエタイにはあると見た野口は、この競技をよりエキサイティングなものにするために研究を始めた。

そのためにまずはクリンチを排除。さらに空手、柔道、サファディ、サンボ、カポエイラ、コシティなど世界中のあらゆる護身術や格闘技のルールブックから共通性を見出し、それらをもとに「キックボクシング」を確立させた。

野口考案のルールの多くは「K-1」にも取り入れられており、それによって試合の流れはスムーズに、KO必至の殴り合いが実現されている大きな要因になっている。

K-1開幕、これが歴史の始まりだ!

このようにキックボクシングをバックボーンに生まれた新しいスポーツ「K-1」。第一回トーナメントには以下の世界中の猛者8名が選ばれた。

モーリス・スミス(アメリカ/キックボクシング)

WKA世界ヘビー級王者。80年代を席巻した20世紀最強の男。ムエタイで習得した、しなるようなキックで全盛期には8年間無敗を誇り世界に敵なしと言われてきたキック界の主役。

後川聡之(日本/空手)

WKA世界スーパーヘビー級王者であるスタン・ザ・マンの負傷による代打出場。空手ワールドカップで2連覇を果たしている。

佐竹雅昭(日本/空手)

92“93”空手ジャパンオープン優勝。日本代表の選手が世界の強豪を相手に一体どこまで通用するのか、それも見所の1つだった。正道会館仕込みの打ち下ろすような下段蹴りは破壊力抜群である。

トド“ハリウッド”ヘイズ(アメリカ/キックボクシング)

UKF全米ヘビー級王者。190cm101.7kgという今大会で最も大型な選手。ここまでの戦績、11戦11勝11KO。

ピーター・アーツ(オランダ/キックボクシング)

IKBF世界ヘビー級王者。1992年、モーリス・スミスの不敗神話を破り世界の頂点を極めた。今大会優勝候補、大本命である。

アーネスト・ホースト(オランダ/ムエタイ)

ムエタイ世界ヘビー級王者。アンドレ・マナート、ブランコ・シカティックをはじめとするキック界の実力者達に対し全てKOで勝利した過去がある。88年には当時まだデビュー直後であったピーター・アーツからもKO勝利を奪っている。

ブランコ・シカティック(クロアチア/ムエタイ)

IKBF世界ライトヘビー級王者。80年代にヨーロッパのベルトを総なめに。しかしこの時すでに38歳、「峠を過ぎた」と称されることが多くなってきていた。

チャンプア・ギアソンリット(タイ/ムエタイ)

WMK世界ヘビー級王者。タイ国内にはもはや敵なしで世界へ進出してきた。他の選手と比べると体重は約20kg下回るが、左のミドルとローキックは威力十分である。

8名すべてがチャンピオンという今考えても豪華すぎる顔ぶれだ。当時メディアはこぞって「K-1」を取り上げ、日本国民だけでなく世界中が、歴史が始まるその瞬間を今か今かと待ち望んでいた。

まさに大番狂わせ!

今大会に波乱を巻き起こしたのは間違いなくアーネスト・ホーストだ。優勝候補のピーター・アーツを1回戦で撃破。

距離を詰めるアーツに対しヒットアンドアウェー戦法でカウンターを次々にヒットさせた。

アーツのパンチに対してもウィービングで威力を吸収。終始アーツが攻める印象であったものの終わってみればホーストは無傷、アーツの顔はボコボコに腫れ上がっていた。続くスミスは衝撃の左ハイキックで失神KO。

決勝の相手はブランコ・シカティック。スミスもアーツも佐竹もいないというこのカードは専門家やスポーツ誌をはじめ誰も予想できなかっただろう。

シカティックは38歳、1回戦2回戦の疲れもありこのままホーストが優勝するだろうと思いきや……。右ストレート一発で1R失神KOという圧勝。シカティックがK-1初代世界王者に輝いたのであった。

歴史を作った8戦士

「何が起こるか分からない」。その面白さこそが格闘技の醍醐味でもあるわけだが、K-1第一回大会はそれを見事に体現したと言えよう。

この成功があったからこそ「年末はK-1」という地位を確立することができた。そして今まで格闘技に触れてこなかった人々が興味を持つことで競技人口は飛躍的に伸び、さらには世界中の格闘家がK-1の舞台を目指して凌ぎを削るという構図の礎を作ったのである。

1993年、東京国立代々木競技場第一体育館から始まった長い歴史の立役者。それは主催者である正道会館であることはもちろんだが、それ以上に真剣勝負の興奮を世界に伝えた8名の功績を称えたい。

國友ステロイド●文

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佐藤翔一

佐藤翔一

1985年生まれ。東京経済大学コミュニケーション学部卒業後、地域ミニコミ紙の編集記者、広告代理店を経てフリーライターへ。

元高校球児。高校時代は50m6秒フラットの俊足を武器に、中国地方一のセーフティバンター(自称)として活躍しそうになった。

現在はフットサルで右足首靭帯を損傷し、なんとかごまかしながら山登りやスノーボード、サバイバルゲームなどに没頭しつつ、野球をはじめとするスポーツを幅広く取材・撮影・執筆。3大好きなアスリートは野球の嶋基宏、サッカーの大久保嘉人、K1のレイ・セフォー。


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