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優勝請負人と呼ばれた男の3つの教え・常総学院 木内幸男監督

 2016/08/12 高校野球と甲子園
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“優勝請負人”“木内マジック”と言われた男がいる。
名前は木内幸男。取手二高・常総学院を率いて甲子園を沸かせたのは我々の脳裏に焼きついて離れることはない。
木内監督はその人生の大半を野球に捧げた男である。
野球というスポーツを隅から隅まで知りつくした名将は選手の個性を見極めて、適材適所でのびのびとプレーをさせる。
また独自の野球理論も確固たるものがある。それでいて新しい情報の収集には貪欲だ。
そんな木内監督の野球人生を追ってみたい。

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若手監督からも徹底した情報収集をする木内監督

取材日はあいにくの雨降り模様。常総学院の木内監督が、自慢の専用球場を眺めながらこれまた自慢の大きな声でおどける。「本梅雨ならピッチャー有利。空梅雨だとバッター有利。今年は雨が多いらしいから、ええピッチャーがおるところが勝つかな。そうなるウチは不利っちゅうことだわなぁ」

わぁはっはっと、おなじみの笑顔。軽快な話術。取手二高、そして常総学院を率いた木内幸男監督は、実に人生の3分の2以上を高校野球に捧げた人である。

木内監督は長年の監督経験にもかかわらず、常に新しさを求める目がある。
若手監督の指導、姿をさりげなく横目で見て学び、甲子園の解説で足を運べば指導者同士の会話など、あらゆるところから情報を仕入れていく。自宅にいるときは、テレビで野球中継があればプロ・アマ問わず必ず観戦。プロ野球なら解説者の台詞に注目し、その中にはたくさんのヒントが隠されているという。頭の中から野球が離れていくことは皆無といっていいほどだ。

そもそも指導者になったきっかけは、高校時代、土浦一高での野球経験にある。当時の監督は不定期出勤!?で、練習の大半を選手たちだけで行なうことが多かった。そのため昼休みになると、毎日練習メニューに聞きに監督宅へ自転車を飛ばしたのが木内青年。先頭で選手を引っ張り、ノックではまず最初に自分が受け、あとは自らノックバットを振っての毎日だった。「キャプテンだったんで、必然的にやっただけのこと。それがいつの間のかコーチ業みたいなことをするようになって、長く続くことになったんだな」

卒業後も通うハメになったのは、「単にコーチがいなくて選手が困っていたため」だと笑う。
結局、土浦一で6年間指導し、昭和31年には取手二の監督に。水戸商、竜ヶ崎一、鉾田一、土浦日大など、強豪を前にして甲子園への壁は厚かったものの、それらを打ち砕いての思い出深い初出場は、昭和52年の第59回選手権だった。優勝が兵庫の東洋大姫路、準優勝があのバンビ坂本(坂本佳一投手)がいて騒がれた、愛知の東邦。取手二は開会式後の第2試合で静岡の掛川西を下し、念願の校歌を聞くことができた(2回戦敗退)。だが、この檜舞台以上に痛烈に印象として残るのが、県予選での出来事だったという。

子どもの力を侮るなかれ

「準々決勝で、延長18回引き分け再試合になってしまった。翌日は、このゲームだけで他は休み。その後の戦いは当然不利になる。もうダメだと腹をくくったんだが、現実はそうじゃかなったんです。連戦を子どもたちはものすごいエネルギーでものにして、私は改めて知ったんですよ。高校野球は大人がどうにかするもんじゃない。子どもの力を侮るなかれ、とね」

初の甲子園は、高校野球の限りない可能性を教えてくれた。
そして、徹底した管理野球から個性を尊重する指導へと転換するきっかけとなったのが、それから7年後の4度目の夏の甲子園を全国制覇で飾ったあのチームである。
やんちゃ坊主と評された選手たちにやりたい練習をやらせ、代わりに責任をもたせた。この自主性は時に選手が天狗になってマイナス材料にもなったが、そんな折はとことん選手を突き放したり、また一緒におどけたり。木内流駆け引きは、まさに天下一品だった。
当時、呼ばれていたあだ名は “おやじさん”である。

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桑田・清原のKKコンビ擁するPL学園(大阪)を相手に戦った決勝戦では、4-4で迎えた延長10回、決勝点となる3ランが飛び出して勝利を手にした。のびのびと、たくましさを感じさせた当時の選手たちは、振り返るととことん野球を理解し、挑戦していたそうだ。「試合前に相手チームを分析し、何を頭に入れたらいいのか考えたとき、私と選手が出した項目にほとんど差がなかった。12条ほどあった中で、選手が気づかなかったことは2、3だけだった」これが、取手二での監督28年目にしてやってきた栄光だった。(ちなみに、優勝メンバーの一人が、現在常総学院を率いる佐々木力監督である)

昨今の高校野球を顧みて、よく見かける“動きたがる青年監督さん”には、ちょっと苦言を呈す。
「試合のたびに一喜一憂している。確かに私もそんなときがあった。でもこれがベテラン監督になると、1年間をトータルに考え、試合では選手に託してどんと構える。目の前のことでなく、先々のことに主体をおくのだ。試合ごとにばたばたして、自分でゲームをつくってしまうようではいけない」自身もできるだけ動かずにいたいのは本音であり、動きたいところを浮かした腰で止め、「抑えて、抑えてと必死」だとか。だから反対に、要所での思い切り選手にパンチを食らわすような采配が生きてくる。選手をどんどん交代させ、わざと苦しい試合を経験させたりするのも、木内監督ならではの手腕だ。

・経験豊かでも決して奢らず、常に新しい情報をインプットしてゆく。
・子どもの力は大人が考えている以上のものがある。選手の自主性を重んじた指導。
・1年間を通した戦力づくりをするべきで目の前の試合でじたばたしない。

木内幸男。やはり名将である。

藤井利香●文
勝 大也●写真

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ライター紹介 ライター一覧

藤井利香

藤井利香

東京都生まれ。日本大学卒。

高校時代は(弱小)ソフトボール部の主将・投手・4番として活躍。大学では、体育会ラグビー部の紅一点マネージャー。関東大学リーグ戦グループ・学生連盟の役員としても活動。

卒業後は商社に勤務するも、スポーツとのかかわりが捨てがたく、ラグビー月刊誌の編集に転職。5年の勤務のあと、フリーライターとして独立。高校野球を皮切りに、プロ野球、ラグビー、バレーボールなどのスポーツ取材を長く行う。現在は、スポーツのほかに人物インタビューを得意とし、また以前から興味のあった福祉関係の取材等も行っている。


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