1. TOP
  2. プロ野球
  3. 名門New York Yankeesにおける「監督史」⑦ ジョー・トーリ

名門New York Yankeesにおける「監督史」⑦ ジョー・トーリ

 2017/11/15 プロ野球
  1,246 Views

松井秀喜が在籍していた頃のYankeesといえばジョー・トーリ監督の顔が浮かぶ人は多いと思う。
今回はジョー・トーリ監督の歩んだ指揮官としての日々を追ってみたい。

スポンサーリンク

ジョー・トーリと“Core4”の時代

1981年のワールドシリーズで、Dodgersの前に2勝4敗で敗退したあと、Yankeesは再び長い低迷期に突入する。

順位は1984・85年のア・リーグ東地区2位が最高で、この間にボブ・レモン(1982年途中まで/2度目)→ジーン・マイケル(82年途中まで/2度目)→クライド・キング(82年終了まで)→ビリー・マーティン(83年/3度目)→ヨギ・ベラ(84~85年途中まで)→マーティン(85年途中~終了まで/4度目)→ルー・ピネラ(86~87年)→マーティン(88年途中まで/5度目)→ピネラ(88年途中~終了まで/2度目)→ダラス・グリーン(89年途中まで)→バッキー・デント(89年途中~90年途中まで)→スタンプ・メリル(90年途中~91年)→バック・ショーウォルター(92~95年)と監督が目まぐるしく変わった。

この間、オーナーのジョージ・スタインブレナーは、1981年にFAで獲得したデイヴ・ウィンフィールドに対し、マフィア関係者を使って不正工作を仕掛けたことが1990年に発覚し、当時のコミッショナーだったフェイ・ヴィンセントによって2年間の資格停止と高額の罰金処分が下されていた。

冷淡な反応を跳ね返しての栄光

1995年秋、この年Yankeesを久々にポストシーズン進出へ導いたショーウォルター(現Orioles監督)がMarinersとのディヴィジョンシリーズに敗れたあと辞任し、その後任としてジョー・トーリ(1940~)の就任が発表された。

Embed from Getty Images

トーリのYankees監督就任に対する、地元NYのメディアが示した反応はこぞって冷淡なものだった。

ニューヨーク・デイリー・ニューズは往年の強打者ジョー・ジャクソンのニックネーム“Shoeless Joe”をもじって「Clueless Joe」の見出しを掲げた。

「無知な」「頓珍漢な」と訳した日本のメディアもあったが、むしろ「実績を残していない」との意味合いが強く、トーリ本人よりも、彼を抜擢したYankeesのフロントに向けられた皮肉だったとも言える。

確かにそれまでトーリがMets、Braves、Cardinalsの3球団で残してきた成績を考えれば、地元メディアやファンがこの人事に疑問を抱くのも無理はなかった。

1977年途中に選手兼任のまま就任(翌年から専任)したMetsでは、1979年までの3シーズン連続最下位を含む5年連続Bクラスから浮上できないまま、1981年のシーズン終了後に解任され、翌1982年に、選手生活をスタートさせた古巣Bravesの監督に就任し、1年目でナ・リーグ西地区優勝に導いたものの、1984年に80勝82敗と負け越すとあえなく詰め腹を切らされている。

1990年途中にはこれも古巣だったCardinalsに招かれたが、1995年に20勝27敗と負け越した時点で首を切られた。

選手としては通算打率.297、2342安打、首位打者、打点王、MVP、ゴールドグラブなど数多くの栄光に輝いていたが、監督としては通算14シーズンで894勝1003敗、勝率.471と負け越していた。

しかもトーリは地元NYのブルックリン出身ではあったが、前述の通りYankeesのOBではなかったうえに、選手、監督時代を通じてア・リーグの球団に在籍した経験さえなかった。

Embed from Getty Images

Yankeesは毎年のように繰り返された監督交代劇と、スタインブレナーによるFA市場での「高額商品買い物依存症」が原因でチーム編成は混迷を極めていたが、スタインブレナーへの資格停止処分をきっかけに、当時GMに就任していたジーン・マイケル(1938~2017)を中心とする球団フロントは、FAに依存していたチーム編成を改め、ファームシステムから自前で選手を育て、足りない部分を身の丈に合ったトレードで補う方針へと転換する。

その結果、トーリ時代に四番を務めたバーニー・ウィリアムズ(外野手)のほか、のちに“Core4”と呼ばれたアンディ―・ペティット(投手)、ホルヘ・ポサダ(捕手)、マリアーノ・リベラ(投手)、デレク・ジーター(遊撃手)をはじめとする有望な若手選手たちが次々と傘下のマイナーから昇格する一方で、弱点を補強するというトレード本来の目的で獲得したポール・オニール(外野手/前Reds)、ティノ・マルティネス(一塁手/前Mariners)、デイヴィッド・コーン(投手/前Blue Jays)らが加わり、トーリが就任した頃にはチーム編成がまさに完成を迎えようとしていた。

スポンサーリンク

トーリ監督の幸運

野球に限らず、プロのチームスポーツは選手個人の「エゴ」とチーム全体の「利益」が時にぶつかり合い、時に妥協を重ねて成立している。たとえチームが低迷しても個人成績が良ければ選手のサラリーは上がるし、人気と知名度が上がることで選手のエゴはさらに強いものになっていく。

トーリにとって幸運だったのは、彼の着任当時、ミラー・ハギンス時代のベーブ・ルースや、ビリー・マーティン時代のレジー・ジャクソンのような強烈なエゴの持ち主がチームに見当たらなかったことだった。

ウィリアムズ、ペティット、ポサダ、リベラ、ジーターらの若手はメジャーリーグで自分たちの地歩を固めることとチームの勝利を同じ目的にして試合に取り組んでいたし、オニールやマルティネスらの移籍組もチームプレイを最優先し、フィールドの内外で若手の手本となっていた。

トーリ監督の選手の掌握術は「会話」

そんな彼らを率いたトーリは公平に選手を扱うことに務め、選手との会話を重視した。

選手起用にあたっては過去の実績にとらわれず25人の選手を公平に扱うように努め、Red Sox時代に首位打者やゴールドグラブなど数々のタイトルに輝き、引退後に殿堂入りを果たした三塁手のウェイド・ボッグスでさえも相手投手との相性や右左によっては右打者のチャーリー・ヘイズと使い分けた。

普段の試合と違う打順や守備位置で選手を起用したり、先発から外したりする際には、事前にその理由を説明することを怠らなかった。

Embed from Getty Images

のちに、2003年にFAでYankees移籍した松井秀喜が、5月から6月にかけて118打席連続本塁打ゼロのスランプに陥り、打順を七番に下げた際も、事前に専属広報を通じて自身の考えを伝えたうえで、試合前に松井を監督室に呼び改めて「君の調子が悪いからだけではなく、気分転換のためだ」と打順変更の理由を説明するとともに、「私は現役時代、調子が悪かったときに打席での立ち位置をホームプレートに近づけてみたことがあった」とアドヴァイスして試合に送り出した。

その試合、松井はセンターバックスクリーンに特大の復活アーチを叩き込んでいる。

そして世界一へ

就任1年目、92勝70敗、勝率.568で地区優勝を果たしたトーリは、ポストシーズンでもALDSでRangersを3勝1敗、ALCSでもOriolesを4勝1敗で下し、Yankeesに1981年以来となるペナントをもたらした。

Embed from Getty Images

ボビー・コックス監督が率いる前年の覇者Bravesとの顔合わせとなったワールドシリーズでは、本拠地ヤンキースタジアムでの1、2戦をジョン・スモルツとグレッグ・マダックスにひねられて連敗したものの、敵地アトランタでは公式戦43セーブの守護神ジョン・ウェッテランドが3試合連続で救援に成功して王手をかけ、ニューヨークに戻っての第6戦も3回裏にマダックスからジョー・ジラルディ(前監督)、ジーター、ウィリアムズのタイムリーで奪った3点を、先発のジミー・キー、デイヴィッド・ウェザーズ、グレアム・ロイド、リベラ、ウェッテランドの継投で、被安打3、2失点で守り切り、Yankeesは1978年以来の世界一に返り咲いた。

翌1997年、前年のシリーズMVPに輝いたウェッテランドがFAでRangersに移籍し、リベラが後釜のクローザーに抜擢される。

リベラは開幕からの6試合で4回救援に失敗し自信を失いかけたが、トーリは投手コーチのメル・ストットルマイヤーとともに「ここにいる限り、Yankeesのクローザーは君しかいない」と励まし続け、立ち直ったリベラはこの年43セーブ、防御率1.88の好成績を残すと、2013年の引退までにMLB歴代最多の652セーブをマークしている。

特筆すべきはや全セーブ数の約87パーセントにあたる569がチームのポストシーズン進出に結びついている点で、メジャー通算300セーブ以上の投手でこれに次ぐ数字を残しているデニス・エカーズリー(Indians、Red Sox、Athleticsほか)でさえ、通算390セーブに対して207でポストシーズン進出率は約53パーセントにとどまっている。

トーリは本来最終イニング限定のリベラを、勝負どころだと判断した場合にはリードされている場面でも8回途中から投入したケースがあったが、こうしたスクランブル起用もリベラとの固い信頼関係のうえに成り立っていたことは言うまでもない。

Yankeesは1997年こそワイルドカードで進出したALDSでIndiansの前に敗退したものの、198年からは1951年からのステンゲル時代に達成された5連覇以来、メジャー全体でも1972~74年のAthletics以来となる3年連続世界一を達成する。

1996年から2000年までの5シーズン、Yankees打線で30本塁打以上を達成したのは1997年のマルティネス(44本)と2000年のウィリアムズ(30本)しかいなかったが、一発攻勢よりもつなぎの野球で得点を重ね、投手陣と守備陣が最少の失点で守り切る野球は、特に1998年からの3年間で平均得失点差プラス179を記録するなど効率に優れていた。

スポンサーリンク

方針転換で終焉を迎えた「トーリ時代」

しかしDiamondbacksに3勝4敗で敗れて4年連続世界一を逃した2001年以降、徐々にYankeesの歯車は狂い始める。

この敗戦を受け入れることのできなかったスタインブレナーが再びFAやトレード市場での大物あさりに手を出すようになり、1999年にブルージェイズとのトレードでロジャー・クレメンスを獲得したのを皮切りに、マイク・ムッシーナ(前Orioles)、ジェイソン・ジアンビー(前Athletics)、アレックス・ロドリゲス(前Rangers)、ケヴィン・ブラウン(前Dodgers)、ゲイリー・シェフィールド(前Braves)、ボビー・アブレイユ(前Phillies)らが他球団から次々と加入したが、彼らの獲得によってマイナーの有望な若手選手が流出したり、ドラフトの指名権を譲渡したりするリスクが生じ、年を追うごとに将来のチーム編成に影響を及ぼしていった。

Embed from Getty Images

彼らはジーターらの生え抜き組や、彼らの教育係的な存在だったオニール、マルティネスらと違って、程度の違いはあっても「エゴ」が強く、特にA-Rodことロドリゲスは、1歳年上のジーターに過剰な対抗意識を燃やしてチームの和を乱したり、ポストシーズンの大舞台に弱くチャンスでことごとく凡退し観客のブーイングを浴びるなど問題山積で、トーリは信頼関係の構築や維持にそれまでになかった苦労を強いられた。

松井秀喜の獲得もこうした大物買いの一環ではあったが、既述の通り松井はトーリの理想に叶う選手で、2014年、トーリが殿堂入りした際のセレモニーでは、ケースによってはヒットエンドランのサインを出しても構わないかと松井に打診したところ、二つ返事で承諾したとのエピソードをわざわざ紹介している。

結局、松井が入団した2003年を最後にワールドシリーズから遠ざかり、翌年から3年続けてポストシーズンで敗退したトーリは、2007年のシーズン終了後、Yankeesから示された「出来高払い」込みの契約延長を拒否して退団の道を選んだ。

翌年からDodgersの指揮を執り、2008、09年と連続で地区優勝を果たしたものの、シリーズ進出は果たせないまま、2010年限りで勇退している。

トーリ監督の実績と評価

通算2326勝はメジャー歴代5位だが、そのうち約46パーセントにあたる1078勝をYankeesでの12年間でマークしており、チームの歴代監督で唯一のニューヨーク(ブルックリン区)出身者でもある。

リーグ優勝6回と世界一4回は、Yankeesの監督としては、ともにリーグ優勝8回、世界一7回のジョー・マッカーシーとケイシー・ステンゲルに次ぐ数字だが、両者の時代にはなかったポストシーズンのプロセスを経て獲得したペナントとシリーズトロフィーだけに、その価値は決してそん色がないと言っても過言ではないだろう。

Embed from Getty Images

選手として2000本安打、監督として2000勝を達成したのは長いメジャーリーグの歴史でも唯一の記録で、主にYankees時代の監督としての実績に選手時代の功績も加味されて、2014年に野球殿堂入りを果たすとともに、背番号「6」は、ヤンキースの監督経験者としてはケイシー・ステンゲル、ビリー・マーティンに次いで3人目となる永久欠番に指定された。

トーリ退任後に監督となったジラルディは、就任2年目の2009年、三代目ヤンキースタジアム開場の記念すべきシーズンを世界一で飾ったものの、翌年から背番号を変更してめざした球団史上「28」回目の頂点にたどり着くどころか、リーグ優勝も果たせず、前述の通り今季のALCS終了後、事実上解任された。

厳しい言い方になるが、彼にはハギンスやマッカーシーのように威厳と情をあわせ持って選手と接したり、ステンゲルのように豊富なアイデアにあふれていたり、マーティンのように全身火の玉となって試合に臨んだり、トーリのように選手と普段のコミュニケーションを図ることがついにできなかった。そのことは、10年間の結果が証明している。

2017年11月11日現在、Yankeesはまだ新監督を決定していないが、球団史に数々の栄光を刻んできた名将たちとどれだけの共通項を持った人物が選ばれるかに注目していきたい。

箭球兜士郎(やきゅう・とうしろう)
プロ野球監督アナリスト/野球記者/野球史研究者●文

野球好きの人は『いいね!』をして下さい。役立つ情報をお届けします。



こちらも読まれています

data-matched-content-rows-num="3" data-matched-content-columns-num="2" data-matched-content-ui-type="image_stacked"

ライター紹介 ライター一覧

箭球兜士郎

箭球兜士郎

(やきゅう・とうしろう)

プロ野球監督アナリスト/野球記者/野球史研究者。

プロ野球監督を評価する数値として「監督評価ポイント」(Manager W-L percent plus Bonus Points=MWLBP)を考案。今後、「野球監督の歴史」をその起源から随時発表していくとともに、旧態依然とした旧日本軍的「体育会系体質」から脱却できない日本のプロ野球監督を冷徹に評価・発表する活動を展開していく予定。


この人が書いた記事  記事一覧

  • 阪神タイガースを2度優勝に導いた男・藤本定義

  • 巨人と阪神に優勝をもたらした男~日本プロ野球における「プロフェッショナル監督の始祖」藤本定義②

  • 「プロ野球の監督評価ポイント」を数値でランキングする

  • 巨人と阪神にペナントをもたらした男・~日本プロ野球における「プロフェッショナル監督の始祖」藤本定義①

関連記事

  • 阪神タイガース岩田稔選手が立ち向かう糖尿病と食事療法

  • 名門New York Yankeesにおける「監督史」⑥ビリー・マーティンの“酒と喧嘩の日々”(後編)

  • 巨人と阪神に優勝をもたらした男~日本プロ野球における「プロフェッショナル監督の始祖」藤本定義②

  • 名門New York Yankeesにおける「監督史」⑤ビリー・マーティンの“酒と喧嘩の日々”(前編)

  • 阪神タイガースを2度優勝に導いた男・藤本定義

  • 「プロ野球の監督評価ポイント」を数値でランキングする