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世界一美しい立ち技 K-1の魅力

 2016/08/29 格闘技
 

1993年から本格的に始まった日本発祥の格闘技、K-1。空手、キックボクシング、ムエタイ、カンフーなどの立ち技要素が詰まったK-1は瞬く間にファンを魅了し、世界的な知名度を誇る格闘技ブランドになっている。
特に日本では90年代後半から2000年代初期にかけて隆盛を極め、東京ドームや横浜アリーナは超満員。テレビでも軒並み高視聴率をマークし続けた。
なぜ、K-1はこれほどまでに我々を惹きつけ、熱狂させたのかー。

華麗なる外様ヒーローの誕生

武蔵、魔裟斗といった日本人ファイターはもちろんだが、とりわけ海外選手の人気が高かった。
青い目の侍と呼ばれ、急性前骨髄球性白血病でこの世を去ったアンディ・フグ(スイス)。20世紀最後の暴君と謳われたピーター・アーツ(オランダ)。親しみやすいキャラクターと強烈なパンチで愛されたマイク・ベルナルド(南アフリカ)。
彼らは格闘家としての実力も然ることながら、バラエティー番組やCMに起用されるなど、見事に日本のお茶の間にも知られた。

元来、スポーツや格闘技は自国選手が席巻するものに人気が出るし、当然自国選手を応援するだろう。日本人K-1ファイター第一人者、佐竹雅昭は彼ら3人に一度も勝てなかった。それでも彼らはヒールではなく、日本人ファイターの目標として尊敬され、ヒーローであり続けた。
日本発祥の格闘技の象徴が海外選手。それが受け入れられたのだ。

彼らが愛された理由として、親日家であったことが挙げられると思う。アンディ・フグは自身のバックボーンである空手の掛け声から、息子に「セイヤ」と名付けた。ピーター・アーツは熊本地震の際、メッセージを送っている。マイク・ベルナルドは日本で結婚式を挙げ、袴を着こなした。

特にアンディ・フグは格闘家としては恵まれない体だった。それでも、倒されては何度も立ち上がる姿に我々は心を打たれ、彼を「侍」と形容した。
一撃必殺の足技と、空手道で学んだ和の心を持ち合わせていた。そこに、スイス生まれの彼から強さ、美しさ、日本人らしさを見たのだ。

一撃必殺のK.O劇に興奮した

格闘技の醍醐味と言えば、何と言ってもK.Oだろう。ボクシングに見られる、3分12ラウンドをフルに使ったインテリジェンスの応酬も見ものだが、K-1の3分3ラウンドというスピーディーさと豪快さも魅力だ。

2007年に横浜で行われた、チェ・ホンマンとマイティ・モーの試合を観戦したことがある。チェ・ホンマンと言えば身長218cmのコリアンモンスターと呼ばれた巨漢。対するマイティ・モーは185cmで身長差は遠目から見ても歴然としていた。

2ラウンド目、1分が過ぎようかという時に、マイティ・モーの縦に弧を描くロングフックがチェ・ホンマンの顎を捉える。「ドゴッ」という鈍い音とともに、2mの体が消えたように見えた。
観客は総立ちで、歓喜はしばらくの間続いたのだ。K-1におけるK.Oの美しさを象徴するような試合だった。

もう一つは足技によるK.O。かかと落としはアンディ・フグの、ハイキックはピーター・アーツの代名詞だった。

足技は非常に分かりやすく、画面映えする。ブラジリアンキックと呼ばれる縦蹴りを得意としたグラウベ・フェイトーザ。K-1最速と言われたバックスピンキックを持つルスラン・カラエフ。ワールドグランプリを3度制したレミー・ボンヤスキーの飛び膝蹴り。
アニメの必殺技を思わせるような足技が繰り出されるたび、会場は大いに沸いたのだ。

スピーディーな試合展開。素人にも分りやすい、美しく爽快なK.O。これらのファクターが女性を含め、格闘技ファンを拡大させ、K-1人気を不動のものにしていったように思う。

ファイターの個性が際立つ「異名」

ノーガードパフォーマンスとブーメランフックを武器に、数々の名勝負を繰り広げた「南海の黒豹」レイ・セフォー(大ファンである)。強烈な左ストレートでK-1の番長として君臨した「ハイパー・バトルサイボーグ」ジェロム・レ・バンナなど、K-1ファイターには様々な異名がつけられた。

こういった個性を表現したニックネームも、選手とファンの距離を近づける役割を果たしていたように感じる。

ワールドグランプリを史上最多の4度制した、「戦う精密機械」や「ミスター・パーフェクト」の異名を持つアーネスト・ホースト。完全無欠と思われた彼が、当時まだK-1経験の浅かった「ザ・ビースト」ボブ・サップに2連敗した。

精密機械が野獣の圧倒的パワーに破壊される構図が、浮き彫りになった。
そうしてファンは「野獣の快進撃はどこまで続くのか」「壊れた精密機械は輝きを取り戻すのか」「誰が檻から出たビーストを止めるのか」と興味を持ち、惹き込まれていく(ちなみにボブ・サップを止めたのは、元警察官で「戦慄のターミネーター」と呼ばれたミルコ・クロコップだったのがまた興奮する)。

日本生まれの格闘技でありながら、日本人から愛される海外選手が華麗な技を武器に、多くの物語を紡いできたK-1。今後はどんな異名を与えられるファイターが現れるのだろうか。そして、圧倒的な強さと美しさを持った日本人ファイターの誕生も心待ちにしている。

佐藤翔一●文

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ライター紹介 ライター一覧

佐藤翔一

佐藤翔一

1985年生まれ。東京経済大学コミュニケーション学部卒業後、地域ミニコミ紙の編集記者、広告代理店を経てフリーライターへ。
元高校球児。高校時代は50m6秒フラットの俊足を武器に、中国地方一のセーフティバンター(自称)として活躍しそうになった。
現在はフットサルで右足首靭帯を損傷し、なんとかごまかしながら山登りやスノーボード、サバイバルゲームなどに没頭しつつ、野球をはじめとするスポーツを幅広く取材・撮影・執筆。3大好きなアスリートは野球の嶋基宏、サッカーの大久保嘉人、K1のレイ・セフォー。

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