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理想は「監督のいらない野球」早稲田実業・野球部 和泉実監督

 2017/03/06 高校野球と甲子園
 

早稲田実業高校は王貞治、荒木大輔、斎藤佑樹、そして清宮幸太郎と甲子園を沸かせたスター選手を多く輩出している。
そんな名門高校を率いる和泉実監督の指導方針をは、どういうものなのか?特集する。

高校野球は「出会い」

早稲田実業高校・野球部を率いる和泉監督に、名門を背負うプレッシャーはさほど感じられない。以前、こんなことを言っていた。

「高校野球は出会いです。こういう野球と決めつけてやることもできないし、コンバートもしょっちゅうです。だけど、それを不満に思ったことはない。僕は采配にあまり興味がないんです。下手くそな生徒を上手にしてやる。野球をやったことのないやつを、3年間で打てるようにする。そういうことが好きですね」

高校野球の指導者には、リトルリーグに在籍している頃から憧れていた。アジア選手権などにも出場し、早実の2年生の春と夏に出た甲子園が進路を決定づけた。

早稲田大学の野球部ではブルペンキャッチャーに徹するなど日の目を見なかったが、指導者としての資質を養うために、ピッチャー以外のあらゆるポジションを経験。誰よりも貪欲に過ごした。

へなちょこボールの頭脳プレイ

早稲田大学を卒後と同時に、大学3年の時にコーチに出向いていた山口県・南陽工高に着任。以後9年間、指導者として多くを学んだ。

南陽工の選手たちはいまだに鮮明な記憶として和泉監督の中に残り、とくに遊撃手だったある選手との出会いは鮮烈だったという。

「小柄で足も遅く、肩もさほど強くなくて、投げるとみんなへなちょこボール。ところがゲームになると、打球の飛ぶところに必ずいるんです。あ、レフト前に抜けると思うとそこにいて、捕ってフニャフニャってボールを一塁に投げてアウト! それで、なんでわかるの?って聞いたことがあるんですが、自分からはものを言わない子どもで『わかんない』と首をかしげるだけ。それが早実の優勝祝賀会を開いてくれた折に、初めて答えを聞くことができたんです。なるほどな!と、うならされましたよ」

20年以上たってようやく聞くことのできた彼の答えはこうだった。

―――守備位置は打者の構え方で変えていた。

相手の打者のバットがトップに入ったときに「構えが高いとき」はバットが最短に出るので、打球は三遊間、レフト前に来る。

ヘッドを下げて打つ選手はオーバースイングになるので、当たればでかいけれど詰まってショート後方に落ちる場合が多く、だからセンター前にポジションを取る。

そこに打者の足の速い、遅いが加わるので1打席目は様子見をし、足の早い選手に対するために少し前めに守備位置を取っていた。

足の速い選手だと、前めに守っておかないと間に合わないから。

打者一巡して足の速い、遅いが分かった時点で、遅い選手のときは守備範囲を広げ深めに、速い選手のときは前進守備にしていた。

「すごいでしょう。いつから考えていたのか?と聞いたら、小学生のときからだって言うんですよ。当時ソフトボールをやっていて、塁間が狭いだけに足も肩もない自分には工夫が必要になる。だから、事前にボールが飛んでくる位置を予測して守るようにしていたと。田舎の子どもなんですが、こうやって野球にのめりこんで、単純にアウトにしたい、勝ちたいと思えば自分自身で考えるんです。これらを僕は南陽工の選手から学び、大きな財産になっています」

和田明監督の跡を継ぎ早稲田実業へ

平成5年、指導者として10年目の節目に大きな出来事が起きる。思いがけない、母校・早稲田実業からの監督就任依頼だった。現役時代に7年間身につけた“WASEDA”のユニフォームに再び袖を通し、「人生の転機でもあった」という。

早実を長年率いた故・和田明監督同様、監督としてのスタイルは手取り足取りではなく、デンと構えて言葉は要所要所。南陽工時代とはまた異なるスタイルになった。

「早実に移り、最近とくに何もやらないことも大切だと感じています。南陽工での負けた試合を振り返ったとき、結局自分が不安で先に動いてしまっていた。そうではなく、生徒の3年間やってきた気持ちが一番大切なのだから、あまりバタバタするのはよくないんじゃないかと思うようになったんです」

多彩な練習方法を考え、あらゆることをやってきた9年間に相反し、今ではシンプル・イズ・ベストを強調する。

「やっぱり生徒はシンプルな方がわかりやすい。ある程度の基本さえ決めたら、あまり複雑なことはしなくていいんじゃないかなと。選手は一人ひとり違い、僕ではないということです。僕の感覚、肌で合ったことも全部正しいわけではない。いろいろな子どもがいて、合う子どもも合わない子どももいる。最初のころはそれがわかりませんでした。黙っているのが、むしろ一番いいことなのかもなと思うようになりました」

和泉監督がもっと大事にしていたもの

黙っていても、監督はじっと選手を見つめ視線をそらさない。そこにいることが大事。そのうえで、横道にそれそうな選手がいたら、適切なアドバイスをきちんと送ってあげる。

選手は自分の力で真っすぐの道に戻っていく。そしてそれが繰り返され、技術はもちろんのこと、やがてもっと大切なものも磨かれていく。

もっと大切なもの。それは「感性」である。

和泉監督はこの感性の育成を、高校野球はややもすると阻害してしまっているのではないかと、そんな疑問を抱いている。

試合ではカウントごとに監督からサインが出され、選手の意思はほとんど反映されない。サッカーやラグビー、バレーボールなど球技のほとんどが、その場での選手の対応、決断によって動くだけに、野球だけ必要以上に監督が立ち入っている。これはおかしい・・・・。

「スポーツでありながら、主導権が監督にある。これでは選手の感性を止めてしまっていると思うんです。感性としてきちんと磨かれるようになったら、野球はもっともっと幅広く動けるものになるんじゃないでしょうか」

理想は監督のいらない野球

ある試合で、ノーアウト一二塁で送りバントのサインを出したとき、カウントが2ストライクに追い込まれ、サインを“打て”に変えた。でもそこで、選手は送りバントをした。

「ある意味ではサイン無視ですよね。でも待てよと、最初の指示は今の状況を1アウト、二、三塁にしてくれというもの。その後、打てになったが、この段階では“よーし、ヒットを打て”ではないんです。とにかく二、三塁にしてくれよという、方法は右方向に転がす、ライトフライを打つ、そして送りバントの3つ。この3つのうちの選択権は選手が持っていてもいいはずだと思う。当事者が持っていていい。選手は結果的に、バントをする自信があったからバントをした。確率の高いことをやったまでで、サイン無視ではないんです」

やるのは選手。バントしたいと思ってやって、たとえ失敗してもそれが怒る材料になるだろうか。そこが高校野球のみならず、野球自体がベースボールでない点だと感じている。

だから、監督には思い切り大きな理想がある。勝つためにこそ必要な、監督のいらない野球だ。

「頭の柔軟性、判断力を養うことが、うちのようなチームにとってとても大切なこと。例えば作戦を自分で練って、勝手にセーフティバントをやり見事に決まったとか、内野ゴロに打たせて併殺を取ったとか。そういうことが、楽しい野球ではないのかなと思います」

そんな思いが結実したのが平成18年夏の甲子園だ。駒大苫小牧(北海道)との球史に残る一戦を制し、27度目の挑戦で初優勝の栄冠を手にした。

試合は1日では決着がつかず、延長15回を戦い抜いたあとの再試合。それは早稲田実業のもつ長い伝統が一つになって得た勝利であり、「和泉のチームだなんて思ったこともない」と、きっぱりいう。

「本当に、僕がどうこうじゃないんです。だって最後は、頑張れよとしか選手に言ってないんだもの。打ってくれよとか、踏ん張って抑えてくれよとか、本当にその程度。上の試合に行けば行くほど監督の采配といった作為的なことがそぎ落とされて、奇襲なんかは、むしろ通用しなくなった気がします。僕のサインなど見破られていたみたいだったし。でも、そんなことはほとんど問題にならなかった。最終的には選手同士、一対一の勝負。投手の斎藤(佑樹・日本ハム)は瞬時の判断でスクイズを外したって言い切っているし、逆に僕がスクイズのサインを出してきても、きっと相手の田中(将大・ヤンキース)君も外してきただろう。そこには自分でゲームメイクできるようなノリが選手みんなにあった。監督である僕は、その場に参加していただけですね」

細かな采配は、むしろ逆効果だと感じた。流れに逆らわず、監督もその流れに乗っかって必要以上に動かない。

反対に、ここはと自分が動いたのは試合前である。延長15回引き分けでの再試合当日の朝、和泉監督はいつになく強い口調で選手たちにゲキを飛ばした。

日ごろはあまり勝ち負けについて声高に言わない監督が初めて見せた勝利への強いこだわり。

「引き分けに終わり宿舎に戻ってきたあと、駒大相手によくやっているじゃないか、といった空気が僕らの周りにあったんです。確かに自分たちは挑戦者でしたが、それが選手に伝わってしまったら翌日の試合はセレモニーで終わってしまう。そんな危機感を覚え、絶対に勝つんだ、勝ちに行くぞ、それだけはしつこく言いました」

優勝後は、高校全日本選抜チームを監督として率いた。

高校球界トップクラスの選手を間近に見ながら感じたのは、肉体や技術の違いではなく心の持ちようだという。

高校野球はわずか2年半。監督として精一杯技術指導は行うが、それで極端にチーム力が上がるとは考えにくい。むしろアップさせたいなら、技術以外の部分でアプローチしていくほうが効果的なのではないか。これまで抱いていた思いを、より強くするきっかけとなった。

「基本的にはみんな普通の子です。違うとすればプライド、絶対負けないという思い。相手が誰であろうと揺るがない強い意志を持っている。どう頑張っても全員をプロに行くような選手にすることは不可能だけど、絶対に譲らないという精神構造はつくることができるのではないかと。やるんだという気持ちにさせて、負け犬根性を持たせない。そうすれば、ある程度戦えるチームになるんじゃないかと思いました」

それは同時に、選手を励ますことでもあるという。

「励ましてやる。監督なんてそれくらいしかできないんじゃないのかな。でも、勝負事においては一番大きなことだと思います」

選手との会話が結実

「甲子園もいいけどね」と前置きして、和泉監督がこんな話をしてくれた。全国優勝直後、再び対決して勝利した国体での駒大苫小牧戦のことである。スコアは1-0。

「優勝したときのチームが最初に駒大と当ったのが、秋の神宮大会でした。完璧に封じ込まれての逆転負け。このとき、この投手はどうやっても打てないと思ったけれど、うちも斎藤がいいからバッテリーを鍛えればもしかしたらがあるかもしれない。それで帰りの車の中で、最後に勝つとしたら何対何かと2人に聞いてみたんです。捕手の白川が2-1かな、3-1かもなんて言ったあと、ちょっとの間をおいて斎藤が1-0と。うん。俺も勝つとしたら1-0しかないと思うよ、ってそんな話をしたんです。そして、1年前に言ったことがその通りになった。子どもたちと交わした1年間の会話の結果が出たんだなと、また違ったうれしさを味わうことができました。まさに指導者でなければ味わえない喜び。だからみんな、やめられないんでしょうね」

2017年春、早稲田実業は4年ぶり21回目のセンバツへ出場する。清宮幸太郎主将を中心に、主砲は1年夏から4番に座る、新2年生の野村大樹。出場校中もっとも注目度の高いチームがどんな戦いを見せるのか。楽しみだ。

藤井利香●文

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ライター紹介 ライター一覧

藤井利香

藤井利香

東京都生まれ。日本大学卒。
高校時代は(弱小)ソフトボール部の主将・投手・4番として活躍。大学では、体育会ラグビー部の紅一点マネージャー。関東大学リーグ戦グループ・学生連盟の役員としても活動。
卒業後は商社に勤務するも、スポーツとのかかわりが捨てがたく、ラグビー月刊誌の編集に転職。5年の勤務のあと、フリーライターとして独立。高校野球を皮切りに、プロ野球、ラグビー、バレーボールなどのスポーツ取材を長く行う。現在は、スポーツのほかに人物インタビューを得意とし、また以前から興味のあった福祉関係の取材等も行っている。

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