箕島高校 尾藤公監督 最終回 ~尾藤イズムは永遠に~

甲子園での戦績はもちろん輝かしいが勇退してからも他校の監督に対しても指導を行った尾藤監督。
監督も時代への変化に対応にすべきと説いてまわった。
そして箕島高校は長男・強氏へ引き継がれていく。
箕島高校の野球部は「尾藤イズム」で満ち溢れている。

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尾藤強監督「オヤジはラストサムライ」

尾藤公監督は2011年、68歳で亡くなった。
その半年ほど前、電話での会話だったが「全身にがんが転移しとりますよ」と
あっけらかんと口にしたその声が、今も耳元に残っている。

現在、箕島の率いるのは尾藤監督の長男、強氏だ。
高校では親子鷹で甲子園出場を狙ったが果たせず、
その後は野球と無縁の生活を送っていた。
そんな中、同校OBからの強い要望で監督就任を受諾。

野球をやりたくて戻ってきたのではない。
「箕島がこのまま終わってしまってはいけないと、強く思った」

監督になった理由をそう話し、
仕事と野球の掛け持ちで母校のために力を注ぐ。
父同様、「子どもと接することがとても楽しい」。
早くも就任1年目にして、夏の甲子園出場を果たしている(2013年)。

父と子のエピソードを少々いただいている。

「難しいサインなんかなかった。相手が簡単にわかるほど。いけ~とか、ブワッと振れ~とか、技術に関してもそんな感じ。でも、覇気のない下を向いたプレーとか、バントするときどういう気持ちでランナーを進めるかとか、人の気持ちに関することはすごく教わった気がする」

「昔の選手はオヤジに負けんと頭つこうとった。わざと蛇口を開いたまま水をまき続けてグラウンドを水浸しにしたり、水溜りの水をスポンジで吸い取るフリして、半分戻したり。オヤジにしばき倒されながらも、負けてなかった。監督の顔色うかがいながらその場の空気を読むとか、こういうのは社会に出て、すごく生きたと思うよ」

「怒っても翌日はケロッとしているし、嫌なことはすぐに忘れる。そういうオヤジのキャラは、ちゃんと引き継がせてもらってます(笑)」

「ホンマ、俺が言うのもなんやけど、心のきれいな人やった」

「オヤジはラストサムライ」と、強監督は言った。
その強監督は、グラウンドでほとんど怒らない。
しかし、その代わり目は選手から離れることなく、
「見続け」「見抜く」。
一時期部員が少なかった箕島野球部に
また選手が集まり出している。

【了】

藤井利香●文

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