宇部商業(山口県)玉国光男監督 1 ~コンバートで9人野球~
味のある監督さんのひとりだ。
長年に渡り山口県の公立校・宇部商業を率いる。
地元の選手だけを徹底的に育て、甲子園では力以上のものを発揮する
魅力のあるチームを作ってファンをうならせてきた。
指導法は昔も今も変わらない ”シンプル イズ ベスト ”。
だが意外にも勝ち負けにはこだわっていない。
純粋に弱いチームを強くしたい。
その思いは永遠だと目を細めて笑う。
玉国監督は2006年夏を最後に宇部商監督を勇退。その後、数年にわたり総監督としてチームを補佐したあと、現在は地元宇部の少年野球チームの監督として、引き続き指導者の道を歩んでいる。
そんな玉国監督にインタビューをした。
真夏の甲子園のベンチ付近は、時に摂氏40度近くになるという。
「暑いですよ、そりゃあ。足なんかスパイクが黒いものだから、熱気をそのまま吸い込んでヒリヒリするくらい。合間を見てはベンチ裏に引っ込んで、首の後ろに氷嚢をのせて冷やすんです。若い監督さんはベンチの最前列に出て采配するけど、そこまではもうようやらん。予選のときみたいに、本当はバットーケースの陰に隠れていたいくらい。あの古葉(竹識・元広島ほか)監督みたいにね(笑)」
ひっひっひと照れたような笑いを浮かべて話す玉国光男監督。
県大会の時は、そのとおりベンチの隅に隠れるようにして指揮を執る。カメラマン泣かせと有名だ。
「甲子園では強敵ばかりだからそうもいかんで、ベンチの作りも違うから。それに、甲子園に行くと気分が全然違うんです。銀傘効果というのか、あの独特の雰囲気は最高にいい。もし甲子園の会場が甲子園でなかったら、行く気にならんかもしれないなぁ。」
選手だけではなく多くの監督が、甲子園には他にはない魅力があると口をそろえる。
平成17年夏、宇部商業は一戦ごとに力強さを増し、ベスト4入りを果たした。
スター選手などいないが高校生らしい好感度抜群のチームとして印象に残った。
「ここまでやってくれるとは正直思わんかったですね。好永(貴雄=西濃運輸)なんか入学したてのころはひ弱で大成するだろうか疑問だったが、3年たって驚きの選手になりました。これほどまでに変われるのか、と」
コンバートで活路を
好永投手急成長の要因について、監督はずばり”経験”という。
宇部商業の過去の戦績を振り返ったとき、エースが2年の夏・3年の春のセンバツを経験していることが、最後の夏への大きな財産になっている。
「層が薄いですから、そうでないとうちらのような学校はなかなか勝てんと思います。」
宇部商業は公立校だ。越境入学者はゼロ。全員が地元、山口県内の選手となる。
昨今は普通科志向の波を受け、選手確保は年々厳しさを増すばかり。
「夜8時以降は電車が1時間から1時間半に1本となりますから、遠い生徒は下宿生活です。戦力不足は毎度のこと。だから強くするためには、9人の中のコンバートになるんです。誰をどこに使うか。どこで使ったらコイツは一番生きるだろうかと、それを常に考えています。」
1年間で何回ものコンバートを繰り返してきた。平成17年の夏の大会はレギュラー9人のみで戦い、甲子園でも最後の試合でひとり代打を出しただけの9人野球を貫いた。
「いえいえ、そんな大それたことではないんです。やすやすと代えられるコマがないから、とにかく9人で戦ってもらうしかなかっただけ。全てはチーム事情です。」
大げさだよ、と玉国監督の顔にはそう書いてある。だが苦肉の策という中で活路を見いだしてきた采配は見事というほかはない。
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