箕島高校 尾藤公監督 5 ~和歌山県の高校野球で強豪校に育てた男~

試合中に笑顔を絶やさず選手の能力を100%引き出し
甲子園35勝をあげた、まさに名将。
生徒達への教育方針が少しずつ変わっていく。
そして監督を引退の時がやってくる。
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尾藤監督が29年間の監督生活を振り返ったとき、指導方法や感じ方について
大きく前半と後半に分けられるという。

前半の選手は、漁師町である土地柄そのままに奔放でたくましい選手が多かった。
しかし、後半に入ると子ども達の気質は一変した。

「前半の指導では、太鼓でいうならば、弱く叩けば弱く響く。そして、強く叩けばドーンと響く。
ところが後半は、弱く叩く分には大丈夫だったが、強く叩くと太鼓が破けてしまうのです。
これにはとても驚きました」

「前半では、選手に対して求めるものがメチャクチャ多かった。有無をも言わさず、全員ここまでやるんだぞ。と。
だが後半では、できないことは求めない。そのかわり、持てる力を出し切って欲しい。そんなふうに変わりました」

春夏連覇の後、尾藤監督はベンチ入りのメンバーを選手たちに決めさせてきた。どうしても最後の2~3人が選べずに悩んでいた末に当時の都立東大和高校・佐藤道輔監督(夏の都大会で2度準優勝)に学んだ手法だ。

あるとき、いつものように選手に投票させたところ、ボーダーラインの選手が自分の名前を書かずに出した。

「書けばベンチ入りできるかもしれないのに、書かんのです。その子は、自分のことを殺してでもチームのことを最優先で考えた。私はずっと言っていたんです。自信を持て。主張していいんだ。優しさも必要だが、強さも同じくらいなければならない。半分ずついるんだぞと繰り返し話をしてきましたが、嬉しいような悲しいような複雑な思いだったのを覚えています」

複雑さを好まないストレートな人柄は、どんな選手にも最後まで自分をさらけ出し、体当たりで指導した。自分が思ったことを格好つけずに表現し、怒るときには怒り、笑うときにはとことん笑う。

「野球だけがすべてではないんだ。いろいろなことに興味を持て」
それが口癖で、流行りの歌やマンガの話、恋愛の話などざっくばらんに選手と会話した。

尾藤監督は、泣くときは選手以上に泣いた。
年とともにその機会は増え、毎夏の終わりには監督の専売特許のようになっていた。3年生を前に一人ひとりねぎらいの声をかけながら、こらえようと必死にしている選手をよけい泣かせてしまうこともしばしばだった。

時には自分も一緒に終わってしまいたいと思うほどの虚脱感に襲われ、それに負けそうになったことは数え切れない。

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引退の理由は「ノックが出来なくなったから」

そんな彼らを前にして、「鬼の尾藤がホトケの尾藤」になっていく。

そして、まだまだこれからというとき、一人引退を決めた。

理由は明快だ。

「ノックが満足にできなくなったから」

選手と一緒に汗を流し、ノックを通じて心のやり取りをし、一緒に喜びや悔しさを分かち合ってきた。選手とともに歩むことのできる監督でありたいと思っていたので、それができなくなったらきっぱり辞めるしかない。

潔い決断だった。

――もし、もう一度ユニフォームを着て指導するなら。
尾藤監督に尋ねると、甲子園で見せたあの尾藤スマイルそのままに、こうひと言返ってきた。

「当時と変わらず、すべてをさらけ出しながらの指導。そのことに、なんら変わりはないでしょうね」

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