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石巻工業(宮城県)松本嘉次監督 3 ~被災者の心が甲子園で1つに~

 2016/05/18 高校野球と甲子園
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2012年春のセンバツに21世紀枠で出場した石巻工業(宮城県)
指揮をとった松本嘉次監督は野球未経験でありながら独自の選手育成を行った。

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ポジティブで柔軟性に富んだ指導法は甲子園常連校のそれとは一味もふた味も違うものがある。
そして松本監督の強いリーダーシップは野球のみならず、あの東日本大震災の時にもいかんなく発揮していた。
経験もしたことない緊急時に松本嘉次氏はどんな行動をとったのか?

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東日本大震災で1500人を動かした松本嘉次監督

現在、仙台工で野球指導に当たり、宮城県高野連副理事長として県の高校野球に尽力している元石巻工の松本監督。
今も相変わらずの存在感で、いつもたくさんの人に囲まれ、多方面でご活躍のようである。
そんな松本監督に3年前に東日本大震災のときの話を聞いたとき、強烈に印象に残ることがいくつかあった。

あのとき、松本監督は石巻工の正門前に建つアパートにかけつけ、
1階に住むおばあちゃんを背負って胸まで水に浸かりながら、
ぎりぎり2階へとかけ上がった。1階はみるみる水没。
アパートの人々は危うく難を逃れたが、そこからが大変だった。
停電し、寒さが襲う。濡れた服が凍りつき、からだは低体温状態に。
死と隣り合わせの自分を感じた。
「死ぬなと思った。でも、夜が明けて何とか生き延びられたとき、自分自身が変わったような気がしたね。当たり前に次の日が来るんだけど、今の自分がやっていることに対して本当にこれでいいのか、もっと違うやり方があるんじゃないのかといちいち考えるようになった。今日で終わりかも・・・という経験が、生き方そのものを変えた」

学校にはすでに多くの人が学校に避難してきていた。
しかし、そこで初めてわかったのは、学校という場所が決して安全な避難先ではないということ。
食料の備蓄があるわけでもないし、水の確保があるわけでもない。
「あるのはただ広さだけなんです。これほど危険な避難場所はないと思った」

泥の海水が校舎を囲み、学校は陸の孤島に。
情報が入らず、校長は役所の指示を待てというが、
役所のある場所はこの場以上に被災している可能性がある。
松本監督は、それでは手遅れになると訴えた。
みんな被災者なのだが、その中から誰かがリーダーとなり動き出さねばならない。
以降、その役割を毅然とした態度で果たしていったのが、松本監督だった。
「それからというもの、良くも悪くもいろんな姿を見た。
大の大人がと情けなく思うようなこともあったし、
子どもであっても大人以上に動いて感心されられたこともあったし。
いろいろ気づいて動こうとした人もいただろうけど、
自分がやっていいものかと迷った人もいたと思う。難しさもいろいろ感じた」

3日間飲まず食わず。そんな中でもリーダーシップをとった松本監督

学校から脱出したのは3日目だった。飲まず食わずで人々はぎりぎりの状態。
椅子を橋のようにつなげて並べ、
体育で使うマット類を浮き代わりに使うなどして人々を脱出させた。
采配したのは松本監督だ。
そして、異動した避難所でもリーダーとなり、まずはルールを10個作った。
当初はざわざわして人々に声をかけてもなかなか聞いてもらえなかったが、「私も被災者なんです」と言って話していったら、
だんだんと聞いてくれるようになったという。

「こちらが高ぶると相手も高ぶってくる。こっちが冷静になれば、あっちも冷静になる。
言いたい人にはどんどん言わせ、腹が煮えくり返りながらも最後までじっと聞く。
そして、すべて言わせれば相手も落ち着いてくるでしょう。
そこからなんです。あのさ、でもね~って。
大事なのは、否定しないこと。否定してしまうとまたもとの繰り返し。
そうだよな~、じゃあこんな風にしますかねって問いかけるようにすると、
相手も必然的に考えるようになる。
どうすっぺねって言うと、考えてくれる人がどんどん現れるんです。
そうやって仲間を増やしていきました」

1500人を動かした。
10日ほどして次は学校の再建のために避難所を去るとなったとき、
人々が「ありがとう」「頑張れよ」と拍手で送ってくれた。
そのときのことを思い出すと、今もうるっとしてしまうという。
その1年後、石巻工が21世紀枠で甲子園出場を決めたとき、
避難所で一緒だった人々が心から喜んでくれた。
手にお札を握り、「これしかないけど」と寄付をしに来てくれた老夫婦もいた。
人々の思いが一つになって訪れた夢の舞台が、甲子園だった。

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ライター紹介 ライター一覧

藤井利香

藤井利香

東京都生まれ。日本大学卒。

高校時代は(弱小)ソフトボール部の主将・投手・4番として活躍。大学では、体育会ラグビー部の紅一点マネージャー。関東大学リーグ戦グループ・学生連盟の役員としても活動。

卒業後は商社に勤務するも、スポーツとのかかわりが捨てがたく、ラグビー月刊誌の編集に転職。5年の勤務のあと、フリーライターとして独立。高校野球を皮切りに、プロ野球、ラグビー、バレーボールなどのスポーツ取材を長く行う。現在は、スポーツのほかに人物インタビューを得意とし、また以前から興味のあった福祉関係の取材等も行っている。


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