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革新的な練習方法を作り上げた仙台育英高校野球部 竹田利秋・元監督

 2016/01/27 高校野球と甲子園
 

みちのくの名将・竹田利秋監督は東北高校〜仙台育英高校と指揮を執った。

スポーツを人間教育ととらえ「洞察」あってこそ「進歩あり」と語る。

そんな竹田利秋秋氏の考える「監督」とは

東北の高校野球の現実をバネに

竹田監督が過去に発言してきた言葉で、非常に有名な、説得力十分のものがある。
「東北は12月・1月・2月とグラウンドが使えず、西日本と比べると比率は12対9.そのうえ、日没が1時間早いから365時間で約3ヶ月のマイナス。よって12対6の半分しか練習が出来ていない。それだけ不利なのだ。」

ハンディの大きさを、こうして生徒たちに説いてきた。今でこそ室内練習場ができ、ボールを1年中打つことが可能だが、一昔前はまぎれもなくそれが野球後進国といわれる要因だった。

和歌山県出身の竹田監督は、単なる偶然ともいえる恩師の誘いで、初めて雪国の生活を知る。
そして「挑もう」と心に決める。
それは本当に見るものと効くものは大違いという。想像をはるかに超えるものだった。

「その土地で過ごしてみた人でないと分からない。頭では理解していたが、ここに来てどうぢたらいいんだろうと、それは戸惑い、真剣に悩んだものです」

いまだかつて紫紺も深紅も、優勝旗はみちのくの地を踏んでいない。
それを誰よりも願い、夢見ている竹田監督にとって、縁もゆかりもない東北への思いはどれほどのものなのか。

その原点は、コーチから監督になった東北高校4年目の春、初めて甲子園に出場して見ることになった、ある光景にさかのぼる。監督はのちに野球部の文集の中でこう語っている。

”抽選の時やたら西日本の選手は明るい。そして北海道・東北の選手と最も対照的な光景となったのが対戦相手が決まった瞬間だった。我々のチームと当ったと知るや、まるで勝ったと言わばかりの喜びよう。逆にこっちはうつむいたまま。これでは戦う前から負けている・・・・”

雪国の選手のもつ人の良さが恨めしく、またコンプレックスというものが見えない敵であることを痛いほど知らされたのだった。

冗談じゃない。ならばとことん勝ってみせよう。

みちのくへの情熱は、こうしたかたちで本格的にスタートを切った。

「気候的ハンディをどうしたらカバーできるのか、それを常に練習に反映させ生徒にも考えさせています。」

練習メニューは選手が考える。

竹田監督はグラウンドで歌を歌わせたりジャスダンスを練習に取り入れたりと、これまでも盛りだくさんのアイディアで話題になったが、それ以前に基本とされているのが

”自分から行なう練習 ”である。

高校野球ファンならご存知の方も多いだろうが、仙台育英の練習は独特な雰囲気を持つ。

年功序列の型にはまった練習で選手が動くのではなく、1年生以外は ”自分のメニュー ”というものをもって臨む。何がやりたいのか、何をやったらいいのかを他人が決めることは一切ない。

「そうです。ですからウチには球拾いはいりません。グラウンドに来るという行動を起こしたのなら、何かしたいと思うのが人間の行動。自分がしたいことを、その意思を伝えなさいと生徒には言っています。走りたいのなら走ったらいい。スポーツというものは自分の意思を身体で表現するものだと私は思う。人から教わることも、ウンわかったでは意味がない。身体であらわして初めて、スポーツと言える。

そのうえで、監督の役割は全員の基礎になるところの最大公約数を教えるのだという。

そしてそこから各選手が独自の型を作り上げていく。「自分はこうしよう」という意思のもとに個性が生まれてゆくのだ。

「個性というものは勝手気ままにやるのが個性ではない。土台、ベースとなるものがしっかりあったうえで作るもの。私はそのお手伝いをするんですよ。」

もっとノックを受けたい。ならばもう1本となり、もっとスローイングを正確にしたいと思えばとことんキャッチボールをする。
そこに監督が近づき、アドバイスを送る。まだ不慣れな1年生は、とかく上級生の練習のアシスト的動きに終始しかねないのだが、監督はその姿を見つめながら口を開くのをぐっとこらえる。

「1年生もまだ打てないのなら、全体の動きを見て自分の立場を考えながら、やるべき事を見つけてもらいたいんです。今ならバットが振れる。走れるというように。やろうと思えばいくらでもできる雰囲気にしています。だから裏を返せば言われるのを待っていたらいつになるかわからない、という事ですね」

楽をしようと思えば簡単に出来る。しかし、やる気があれば限界がないというのが仙台育英の練習。同時に気づかせるように仕向けるのが監督の役目。口に出し怒鳴ってしまえば簡単だが、選手をロボット化するようなことだけはしたくないという監督の思いがそこにある。

「言われているうちは身につきにくい。自動化しなければ。身体で自動化するために練習するんです。練習という文字は、ねって習うでしょ。繰り返し繰り返しという大きな意味がある。そのチャンスは平等なんです。」

選手一人ひとりに目標を持たせる。

平等。

竹田監督はまた、俗にいう落ちこぼれを非常に嫌う。自分というものを見つめさせたうえで監督はこの時期、選手たちに希望を聞き、先々チームにどのように関わっていくのかを決めさせる。

希望とは野球部内でのあらゆる役職である。内外野のコーチ、グラウンドマネージャー、事務関係のマネージャー、ノッカー、スコアラー、審判、トレーナーなどなど。

将来的な己の道をも見据えたうえで、彼らに配られた用紙に書き込む。空白の選手はずっとレギュラーを目指して頑張りたいという意思表示。今年の1年生の中に例年になくとれーなーを希望する選手が多かったのが興味深かった。

この希望により2年生から、レギュラー候補生と同様に「日本一のノッカー」「日本一のマネージャー」を目指して彼らの貴重な練習時間が埋められていく。そして誰もがチームを支えたひとりとして巣立っていく事を監督は願っている。

「ですからありがたいことに野球部の生徒は就職には困りません。ここで頑張ったことを評価してくれる企業さんが多いのです。でもその代わり大学に行って、いまだに残る封建的なシステムに戸惑いギャップを抱える生徒も少なくないことが非常に気がかりなのですが。」

人柄を忍ばせる柔和な表情を一瞬崩した竹田監督がそこにいた。平成元年夏(第71回)の準優勝投手・大越基(ダイエーホークス)も早稲田大学中退という、そのはざまで揺れた選手だったことは否定しがたい事実であろう。

高校野球は教育の一貫として、また2年半の短い時期ということで情熱的でしかも研究熱心な指導者が多いが野球界の縦のラインで見た場合、プロがいい例であるように、経験論でものをいう古来の武道を思わせる空気がとても色濃い。

「もっと野球界に考え方の一貫性を」と竹田監督は説く。生徒の成長過程の一端を預かるもうひとりの父として、その思想は非常に興味深く共鳴するものばかりである。

「よく生徒が伸びないと嘆く監督さんがいるが、それ以前に自分が伸びていないのではないかと私は思います。自分が伸びなければ生徒も伸びませんよ。常に進歩したいと学び続けなければならない。そのために大事なのが、ものの見方や取り組む姿勢なんです。」

東北に竹田ありと言われ始めた当時、練習は今では想像しがたいほど厳しいものだった。西日本の高校に勝つためには練習あるのみ、とその姿はまさに選手たちとの格闘。

しかしその後、ある時はチャレンジ、ある時は決断と試行錯誤を繰り返し180度の転換を果たした。それは一言で言えば「人間としての成長なのだ」と竹田監督。

「私は過去最も多く甲子園に出場している監督ですが最も多く敗戦を味わっている監督です。いつもいつも必ず負けて、帰りの新幹線に乗りますが、その中でずっと考えています。何が欠けていたのか、と。負けたというのはどこか違っていたはずですから。結果に対して逃げ道を作った責任転嫁はしたくない。正面から結果を見たい。そうしないと明日のステップにはならないでしょう。だから私は、一番甲子園で勉強させてもらっている恵まれた人間なのです。」

”勝ちに不思議あり 負けに不思議なし”。

野球部の卒業アルバムの中にある、竹田語録である。
そして甲子園とは、「人を育てるところです。」

「勝てば喜び。しかし負けたときこそ、そこから何をつかんだかが大きいと思う。野球が巧くなるのもいいが、補欠の子もそこで何かを得てほしい。甲子園で勝った負けたではなく、自分の人間の器量、器を大きくしてもらいたい」

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ライター紹介 ライター一覧

藤井利香

藤井利香

東京都生まれ。日本大学卒。
高校時代は(弱小)ソフトボール部の主将・投手・4番として活躍。大学では、体育会ラグビー部の紅一点マネージャー。関東大学リーグ戦グループ・学生連盟の役員としても活動。
卒業後は商社に勤務するも、スポーツとのかかわりが捨てがたく、ラグビー月刊誌の編集に転職。5年の勤務のあと、フリーライターとして独立。高校野球を皮切りに、プロ野球、ラグビー、バレーボールなどのスポーツ取材を長く行う。現在は、スポーツのほかに人物インタビューを得意とし、また以前から興味のあった福祉関係の取材等も行っている。

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