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甲子園20連勝を成し遂げた男 PL学園 中村順司監督

 2016/06/16 高校野球と甲子園
 

高校野球ファンなら「強豪校をあげろ」と聞かれれば
必ずその名前が出てきたPL学園。
2016年その歴史に幕が下ろされた。
桑田・清原のKKコンビで日本中をわかせたPL学園の歴史を風化させてはいけない。
中村順司監督に焦点をあてつつ、栄光の歴史にふれようと思う。

PL学園の輝かしい戦績

2016年、ある野球部がひっそりと活動を停止した。
その学校の名は、PL学園。
桑田・清原ら数々のプロ野球選手を輩出した名門中の名門だ。
記録とともに記憶も我々の脳裏に焼きついて離さないPL学園の野球。
ミラクルな試合。人文字の応援。
PL学園の歴史は休部しても、なお色あせることがない。
率いたのは、中村順司(現・名古屋商科大学)監督だ。

思い出を、ちょっと振り返ってみたい。

甲子園20連勝。甲子園での戦績はなんと58勝。
強豪チームをつくり上げた中村順司監督は、そんな輝かしい記録がありながら
あくまで「選手が主役」が口癖だった。

PL学園を語るときに欠かせない桑田真澄(巨人)・清原和博(西武・巨人・オリックス)を擁したあの時代が、
就任わずか3年目の37歳の若さだったことに、今さらながら驚く。

「桑田らが3年生になったとき、39歳。当時から頭が薄かったもんで、若いという印象はみんななかったんじゃない!?」

その笑みはとても穏やかだが、関係者、ファンならご存知だろう。
甲子園での勝ち星は、智弁和歌山の高嶋仁監督の63勝に次ぐ58勝10敗。
春夏合計6回の優勝。勝率はなんと.853!

昭和55年夏に就任して、翌年のセンバツでいきなり優勝。
57年春に2連覇を成し遂げ、58年の春の夏には1年生の桑田・清原で再び全国制覇。
59年センバツで敗れるまで、なんと甲子園20連勝!
そして、62年には立浪・片岡らで春夏連覇。
まさに偉業。見事というほかない。

しかし、当の中村監督は「前の監督さんが土台を作って、私はリリーフみたいなもんだった。
だから、まぁ気楽っていえば気楽だったんですよ」と、サラリ言ってのける。

「連覇だとか、私の50勝とか、そういう言葉はあまり好きじゃないですよねぇ」とも。

おごったような言葉は決して聞かれず、どんなときもむしろ面白みに欠けるような淡々とした台詞を口にする。

チームは全国の球児から常に羨望の眼差しで見られてきたが、その華やかな表舞台に、監督の姿は不思議と浮かび上がってこない。
有名監督にありがちな強烈な個性も、中村監督にはさほど縁がないように思われる。

「私にはこう、強いイメージないでしょう。俺について来いと強引にリードできる器じゃないですから。
どちらかというと監督よりコーチ。コーチする、教えることが好きなんです。
性格からして、監督には向いてないと思うことがよくあります」

「コーチすることが好き」。今でも強く心に残る。
あまりに謙虚な言葉だが、これこそ高校野球を代表するチームの内面を支える柱なのだろう。

強さの秘密は内容の濃い全体練習と自主的に行なう個人練習

練習風景

PL学園の人気は単なる強さだけではない。豪快なバッティングの陰に、堅実な守備がある。
ひとりの選手の前にチームがある。逆転のPL、奇跡と評された戦いぶりの裏には、ひたむきなプレーがある。
それを生み出す中村式操縦法は、当時当たり前だったスパルタ式とは異なり
独特の空気感を持っていた。

実際にこれまで何人かのOBに尋ねたことだが、PLの練習について誰もが「全然きつくない」と答えていた。
「時間的には短いけど内容は濃かった」といった声が多く、。
専用球場や室内練習場完備のなかで、長時間の練習は行なわれていなかった。

「3時から練習ですが、短い時間にいかに集中してやるかが大事。明るいうちに終われば疲労感が残らないでしょう。
全体練習の中でノックしてバッティングして、時間が余ったら今度は個人的な練習をする。
まだやろうかな、という程度がいいんです」

OBたちが声をそろえる点は、自主的に行なう個人練習の量だ。
清原は「室内練習場で徹底的にバットを振った」というし、桑田は「グラウンドをいつまでも走り走った」。
それぞれが課題をもって臨み、互いに刺激し合い、「みんな大人の感覚だったよな」と、彼らの顔は誇らしげだった。
現在の高校野球界で当たり前になりつつある選手主導型の練習が、
当時のPLではすでに行われていたことになる。

「選手は決して野球のエリートではなく、みな努力型です。先輩の姿を見て学び、よき伝統となって受け継がれている。
周りと同じことをしていたら、これだけの実績を残していません」

全体練習の中ではとくに「理論をわかりやすく」が、監督のこだわりである。
自らグローブを持ち、手取り足取り、グラウンドを歩いて回る。

徹底的に指導するのは、もって生まれた身体を上手に使い、最も効果的な送球、スイングをすること。
中学時代大雑把で雑に身体を動かしてきた選手が多い中、
肩や腕、脚の関節の仕組みといった理論をわかりやすく教えるということは、
野球に対する新鮮な発見を生み、向上心を大いにあおる好結果となっている。

「体の使い方はうるさく言います。もし間違ったことをしていたら、それはケガに結びつく。
ケガはやる気と目標を失わせる最大原因になりますから」

そして、中村監督の胸の内にあるのは「野球が好き」なまま、次のステップへ送り出すこと。
高校でもうイヤだと思うような指導はしたくない。
将来への可能性を抱かせながら3年間を過ごさせたいと願っていた。

「三拍子そろった選手と言うのはそういない。
だけど、甲子園を目標に戦うためには3つのうち2つは身につけさせたいと思っている。
太めの子は身体を絞り、動きのいい選手に。少々足が遅くても走れる選手に。
それは結果的に大学、社会人へとつながっていくんです。上で通用する選手。
上に行けが行くほどふるいにかけられるでしょうが、その後も何らかの形で野球と関わってくれたら」

それを純粋に願っていたのが、中村監督だった。

藤井利香●文
FLickr●写真

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ライター紹介 ライター一覧

藤井利香

藤井利香

東京都生まれ。日本大学卒。
高校時代は(弱小)ソフトボール部の主将・投手・4番として活躍。大学では、体育会ラグビー部の紅一点マネージャー。関東大学リーグ戦グループ・学生連盟の役員としても活動。
卒業後は商社に勤務するも、スポーツとのかかわりが捨てがたく、ラグビー月刊誌の編集に転職。5年の勤務のあと、フリーライターとして独立。高校野球を皮切りに、プロ野球、ラグビー、バレーボールなどのスポーツ取材を長く行う。現在は、スポーツのほかに人物インタビューを得意とし、また以前から興味のあった福祉関係の取材等も行っている。

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