桐蔭学園(神奈川)土屋恵三郎監督 1 ~野球より礼儀作法を~
神奈川で戦い続けた名将が2013年夏を最後に桐蔭学園のユニフォームを脱いだ。
28歳で監督になり、桐蔭学園一筋に30年。
同校を人気、実力ともにトップ校に育て上げ甲子園出場はトータル10回。
1988年春の準決勝、宇和島東(愛媛)との延長16回の死闘などが記憶に残る。
今後はさらに広い視線で野球を見つめ自己を高めながら新たな挑戦をしていきたいという。
桐蔭の選手たちは不思議と大人っぽく見える。
落ち着きがあり、それが妙に格好よかったり、またクールに映ったり。
そんな事を口にすると土屋監督がニコッと笑った。
「野球より礼儀作法を教えることの方が多かったよね。挨拶だけじゃなくて、例えば人を見送るときはその人の乗った車とかを姿が見えなくなるまで見送るお世話になった人にはハガキの1枚でいいから出すんだぞ、とか。こういうことは学校も親もなかなか教えられない。進んだ大学で、よく桐蔭の学生は礼儀正しいと評価されるんです。社会に出ても必要なことだから、そう言われるのはとても嬉しい。」
礼儀をわきまえ、学びの大切さと世の中にある程度知ってからという見解から、指導にあたった30年間で直接プロに進んだ選手はいない。
「学士をとってからまたは社会人でもまれてから。すぐにでもプロに行きたいと思った選手もいたかもしれないが教え子が800人前後いる中で誰も直接行かなかったというのは自分なりの誇り。俺の我が通った、通させてもらったかなという気持ちです。」
高橋由伸(巨人)らその後プロで活躍する選手は多数いるが、進学率100%の学校らしく、教え子たちは各方面で活躍中だ。企業戦士はもちろんのこと、教員、医者などそれそれの道を歩んでいる。
オーラを感じさせる男になれ
センター後方にあるトレーニングルームには野球部の1期生からこれまでの全員の名札が飾られており、4期生のところにあるのが土屋監督の札だ。1982年に監督になり、その代28期生からが教え子となる。
これを見ると、一ひとりの顔が自然と脳裏に浮かんでくるという。
「この先、高校野球の様にワンワン泣けるようなことにはなかなか出会えないであろう。でもそれに負けないくらい全てをかけて、純粋に涙できるような仕事を見つけて欲しい。そして万が一にもつまずいた時には、桐蔭の野球を思い出してくれたら、生きていくために欠かせないのは笑顔、辛抱強さ、やる気。この3つを忘れず、オーラを感じさせる男になれと言っています。」
きっと土屋監督の教え子たちはこの言葉を胸にそれぞれの道で活躍しているに違いない。
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