石川県屈指の強豪校を作り上げた星稜高校 野球部 山下智茂監督

選手は2年半頑張れば良いけれど、監督はそうはいかない。
毎年選手が入れ替わるチームを育てようと思ったら、息つく暇などありはしない。

「野球と、そして子どもが好きなんです。」と語った山下智茂監督。
その素顔に触れ、高校野球の原点に戻ってみたいと思う。

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星稜高校野球部・山下智茂監督の野球とは

山下監督は、高校野球を代表する「名伯楽」のひとりである。
地元・門前高から駒沢大学へ進み、昭和42年に星稜高校へ赴任。
同時に野球部の監督となり5年の後、当時はまだ無名だったチームを初めて甲子園という檜舞台へ導いた。

以来・春・夏合わせて計25回出場。第61回夏の「延長18回」(対箕島高校)で見せた戦いぶりは今でも語り継がれ、北陸の雄として押しも押されぬ存在となっている。

しかし山下野球は長い年月を経ながらも、いまだに無冠。念願の優勝は、石川県にとってはまだ見ぬ未知のものなのである。

その優勝を狙えるチャンスがあった。1992年(平成4年)春のセンバツで見せつけた松井秀喜のスラッガーぶりに世間は多いに沸き、夏の大会では夏の大会では彼の一打席一打席に注目が集まった。
しかし結果は2回戦(明徳義塾戦)で全打席敬遠されるという予想外の展開で敗退。
夢はまたしても遠のいた。

敬遠には世間は様々な反応を見せた。山下監督も当の松井秀喜も、この件に関しては淡々と受け流し多くを語ろうとしないが他人が思う以上の悔しさを心に残したのは事実である。

「一生懸命、私も生徒たちと戦ってきましたから・・・・」
勝つことがすべてではない。しかし1年の集大成として残る最後のゲームとしてはあまりにもむなしいものがありはしないか。

山下監督は言葉を続けた。

「勝負はやはり負けたら終わりなんです。こういう野球もあるんだということを学びました。ただ言うなれば明徳のピッチャーはかわいそう。好きな野球をやって来たのに、ああいった形で人生の中に残ってしまうんですから」

補欠とともに歩もう

長年にわたる指導の中で、常に心にあるのは選手が「好きな野球をやっている」ということだ。だから厳しい練習にもついてくる。そして野球を通し、何を学び巣立っていくのか。勝ち負けよりも大きなもの。

それを大切にする山下野球には、心がある。

その一つ、監督は補欠選手を非常に大切にする、駒大時代、レギュラーでないというだけで苦い思いを幾度となくした。

「補欠とともに歩もう」

指導者としてのスタートの日、固く心に誓ったことでもあった。

「補欠はうんと誉めて、レギュラーは叱る。監督は、とかくこの逆になりがちなんですが、彼らがバッティングピッチャーやキャッチャーを務めてくれるから松井たちも育っていくいんです。実際、補欠の子はかわいいですよ。卒業してもうんと来てくれるし。レギュラーはなかなかねぇ。」

補欠選手ほど思い出が多いのが山下野球。さらに変わらぬ信念といえば、礼儀作法に感謝の気持ちである。訪れる人々全てへのしっかりとした挨拶、節度のある上下関係。行き届いたグラウンド整備、磨き込まれたスパイク。これらの事を選手はあたり前に、ごく自然に日常化させている。

この感謝の気持ちが、ひとつのかたちとして洗われたのが、平成4年夏の甲子園である。
選手たちは、優勝という監督の悲願をプレゼントできなかったかわりに、もっと素晴らしい贈り物を届けた。

「負けて宿舎を出るとき、生徒の使った部屋を見て回るんですが、今回それぞれのベットに紙キレがおいてあるんです。何やと思ったら、ご主人、従業員の方らお世話になった人みんなへのお礼の手紙。”毎日安心して過ごせました。ありがとうございました”とね。ビックリしました。涙が出るほど嬉しかったです・・・・」

こんなこともあった。見事優勝を果たした平成5年の国体では、決められているはずの夕食のメニューが毎日一品づつ増えていった。宿舎の人々がチームに好感を持ち、独自に差し入れをしてくれたのである。最終日のテーブルには食べきれないほどのおかずが並んだという。

「どこへ行ってもファンを作ってくるんです。礼儀や感謝を忘れず、人から好かれるチームとなるのが私の最高の喜びです。でもだから勝てないんでしょうね。人からもそう言われます。いいチームだから勝てないんだと・・・・。だけど私はそれでいい。チャンスがいつか巡ってきたとき、夢を追いかけていかれれば。」

この夏、夢はあっけなく消えた。しかし国体を終え故郷に戻った日、山下監督はひとりグラウンドに立った。手には一升瓶。

「ケガなく過ごせ、国体で優勝もできた。それも素晴らしいグラウンドあってのこと。最近、自然とそう思えるようになったんですよ。」

酒を少しずつ、丁寧にまいた。『ありがとうござました。』
常日ごろ、選手たちに言う、感謝の気持ちだった。

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