石巻工業(宮城県)松本嘉次監督 最終回 ~学校の再建と感動の選手宣誓~
東日本大震災で自らも被災者となるも強いリーダーシップで1500人の避難をさせた松本嘉次監督。
学校の校舎やグラウンドも被災し、その再建にもあたる。
協力したのはもちろん松本監督の教え子である野球部員だった。
震災の現実は重く厳しいが野球部の未来には明るい希望もある。
学校の再建はまた大変だった。
どこをどう手をつけていいかわからない状態で、先生たちもただ右往左往するばかり。そんな中、率先して動いたのが松本監督と野球部員だった。
業者が来るわけでもない。
乾いてカビガビになった状態のヘドロをスコップで来る日も来る日もかき出し、校舎、そしてグラウンドが少しずつもとの状態へ戻っていった。
「当時の親には感謝です。自分の家もひどいのに、子どもをよこしてくれたんだから。子どもしか生きがい、楽しみがないから、先生、早く野球をやってけろって言ってくれた人もいた。そして、あの代の3年生が後輩に残した言葉が『グラウンドを大切にしろ』。あいつらがいたから、次の連中が甲子園に行くことができたんです」
改めて聞くと、震災後仮設住宅の着工に取り掛かるまで、半年近くの時間を要したという。
震災に対する予備知識も準備も乏しく、どれほど大変だったかがうかがい知れる。
でも、復興にはまだまだ時間がかかるといのが現実だ。
「復興といっても一番の働き手がいない。程遠いなと感じています。子どもと老人を助けろと言っても、雄勝地区は一度津波に遭っている地域で、老人が俺たちを連れて行っても仕方ない、あんだたちが逃げろと言って亡くなった人もいるんです。
若い人が残った地区、いなくなった地区、その差は大きい」
「もとの町に戻すには、今までの発想ではダメだと思う。
人が帰ってこないんだから、来てくれるようなものをつくらないと。
先生なら何をつくるかと聞かれたから、俺ならディズニーランドだって答えた。
それくらいの発想をしないと、たぶん人は帰ってこない」
甲子園に出場した翌年の新入部員の数は減少。これが震災の現実
今年石巻工の野球部に入った1年生部員の数は、過去もっとも少ない一けた台だという。もう一度、あの甲子園へ。それは今や、程遠い夢物語になのだろうか。
しかしながら、希望もある。センバツ大会に出場した選手が、来春教員として地元に戻って来るかもしれないのだ。
新たな光を石巻に――。
松本監督も楽しみに待っている。
出場した2012年センバツ大会で人々を感動させた
石巻工・阿部翔人主将の選手宣誓を改めて記しておく。
「宣誓。
東日本大震災から1年。日本は復興の真っ最中です。
被災された方々の中には、苦しくて心の整理がつかず、
今も当時のことや亡くなられた方を忘れられず、
悲しみに暮れている方がたくさんいます。
人は誰でも、答えのない悲しみを受け入れることは、
苦しくて辛いことです。しかし、日本が一つになり、
その苦難を乗り越えることができれば、
その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。
だからこそ、日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔。
見せましょう、日本の底力、絆を。
我々、高校球児ができること、それは全力で戦い抜き、
最後まであきらめないことです。
今、野球ができることに感謝し、全身全霊で正々堂々
プレーすることを誓います」
【了】 藤井利香●文
『いいね!』をすると最新の記事を読むことが出来ます。