箕島高校 尾藤公監督 3 ~思い出の試合と信念~
試合では笑顔でリラックスさせ、選手の持つポテンシャルを100%発揮させるよう導いていく。
そして、伝説となった延長18回の星稜(石川)戦では、試合後のミーティングで選手と言葉ではなく、涙でコミュニケーションをとった尾藤監督
喜怒哀楽をあえて出し、ありのままの自分をさらけ出すことで選手の信頼を勝ち取る。
尾藤監督によれば、星稜戦ともうひと試合、忘れられない試合があるという。
星稜との激闘に勝ち、順当に勝ち星を重ねて迎えた決勝戦。
浪商(大阪)との戦いである。
浪商といえばエース・牛島和彦(中日~ロッテ)と、ドカベンこと香川伸行(南海~ダイエー)のバッテリー。
逆転逆転のシーソーゲームの末に、箕島が8-7で勝利している。
勝負を決めた8回の攻防で、サイクルヒットがかかっていた主砲の北野敏文(一塁手)が
バッターボックスに入り、ドカベン香川に向かって「勝負せい!」とけしかけた。
浪商ベンチのサインは敬遠であったが、牛島・香川のバッテリーは勝負に出た。
お互いに逃げない―――。
試合後、「力と力でぶつかり合った、すがすがしいゲームだった」と、尾藤監督は振り返る。
(北野選手は史上初のサイクル安打を達成した)
箕島ベンチに顔を向け、尾藤監督に向かってにっこり笑った香川の姿に
愛されるべき豊かな人間性を感じ、それも印象に残ると言っていた。
白熱の試合を制した箕島はセンバツ優勝を遂げ、続く夏も制して春夏連覇を果たした。
「春夏連覇は考えもしなかったので感慨深いことです。でも本当に感激したのでは、やはり初出場の時ですよ。一番最初に甲子園の舞台に立てた時の、言葉にならないほどの感激は忘れられません」
名門・平安高校との練習試合に奔走
初出場、昭和43年センバツでいきなりのベスト4入りを果たしたのだが、その原動力となったのが東尾修(西武)だ。
実は東尾投手ら3人の選手は、当初平安(京都)に行く予定だった。
なんとか地元でやって欲しいと説得し、それから箕島の歴史が変わることになった。
ある時選手たちに「どこと練習試合がしたい?」と聞いたところ、「平安」と答えが返って来た。
「よっしゃ! 任せろ!」と言ったのはいいが、当時の箕島は全くの無名校。
予想どおり、電話ではまったく相手にしてくれない。
そこで尾藤監督が直接学校まで出向いたのだが、監督も部長も会うことすらしてくれなかった。
どうしようかと頭を抱えていたところ、野球部とは全く関係ない先生が「夜、この店に行けば部長に会えるかも知れませんよ」
と教えてくれた。
尾藤監督はそこへ行き、やっと生徒たちの願いである「平安高校戦」を現実のものにできたのだった。
「でも来たのは、2軍のチームでしたけどね」
悔しさを心の奥にしまい込み、それから無我夢中でノックバットを振り続けた尾藤監督。
駆け出しの初々しい指導者の頭の中にあったのは、
名門高校といわれるチームの2倍、3倍の練習量をこなさなければ勝てない。この信念だけだった。
甲子園での笑顔とは裏腹に、グラウンドは「戦いの場」をとことん実践した指導者でもあった。
寝食を忘れて信念を貫けば、夢はいつか実現となる。
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