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箕島高校 尾藤公監督 4 ~甲子園で35勝する為の選手の分析方法とは~

 2016/03/01 高校野球と甲子園
 

尾藤監督は、全くの無名校から全国区の強豪校に上り詰めていった。
そこには「強い信念」があった。
名門校に負けない練習量。考え方は単純だった。

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尾藤監督には、こんなチームにしたいという明確なビジョンがあった。

■広島商業のような「緻密で堅実な野球」
■松山商業・徳島商業・高知商業・高松商業の「力強い野球」
■大阪の代表校のような「抜け目のない〝がめつい〟野球」

この3つをミックスすれば、絶対にいいチームができると信じていた。

練習方法は、あくまでノック中心。
ハンパな数ではない。
ただひたすらノックを打ち、選手は必死にボールを追っていた。

尾藤監督は、金属バットでノックをしていた。
当時ノックは木のバットでするのが普通であった。
だが監督は、「選手は金属で打つのにノックだけ木製というのはおかしい。
ノックも金属で打って打球に慣れるべきだ」と考えていた。

ちなみに伝説の試合相手・星稜の山下監督は木のノックバットを特注で作らせていた。
マイ・ノックバットである。
山下監督のノックも右へ左へ流れるようなノックで芸術的と言われたが、
尾藤監督も負けてはいない。
ライト線、レフト戦ギリギリなど、狙いを定めて確実にそこへ選手を走らせた。
試合でありうる、ありとあらゆる打球を打てて初めて本物のノッカーとなる。

ノックの時点で、箕島VS星稜の戦いは始まっていたのかもしれない。

尾藤監督のユニークな選手の分析方法

これはのちによく知られる話となったが、
箕島が黄金期のチームを、尾藤監督が分析。
すると、親の生き様が子ども達にも現れていることがわかった。

投手の石井毅(西武)の家は、みかん農家。
1年間、細やかなことに気を配りながら、辛抱強く作物を育てていく。
それがピッチングにもよく現れていたという。

捕手の嶋田宗彦(阪神)は漁師の家。「板子一枚下は地獄」ということわざもあるように、
命がけの仕事である。船を出すべきか否か瞬時の判断も、必要となる。
嶋田選手にはその判断の素早さに長けていて、行動も漁師そのもの、豪快だった。

副将でサードコーチャーの中本康幸は、性格がど真面目だったとか。
毎日の練習方法などをノートいっぱいに書いてきて、ボールをいくつ紛失したかまで報告してくる。
「ノートをみなあかん、こっちの身にもなってほしいわな」と、
当時の様子を振り返りながら、尾藤監督が大笑いしていた。
その中本選手は、3年間で1回しか打席に入っていない。守備についたことも1度もないが
サードコーチャーという自分の持ち場を黙々とやっていた。
試合には出なかったが副将として立派に職務をまっとうした。

いろいろな選手が、あのチームをつくりあげた。

明確なビジョンを持ち、詳細な分析をする事で目的は成し遂げられる。

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ライター紹介 ライター一覧

藤井利香

藤井利香

東京都生まれ。日本大学卒。
高校時代は(弱小)ソフトボール部の主将・投手・4番として活躍。大学では、体育会ラグビー部の紅一点マネージャー。関東大学リーグ戦グループ・学生連盟の役員としても活動。
卒業後は商社に勤務するも、スポーツとのかかわりが捨てがたく、ラグビー月刊誌の編集に転職。5年の勤務のあと、フリーライターとして独立。高校野球を皮切りに、プロ野球、ラグビー、バレーボールなどのスポーツ取材を長く行う。現在は、スポーツのほかに人物インタビューを得意とし、また以前から興味のあった福祉関係の取材等も行っている。

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