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20人以上プロサッカー選手を輩出する『プロサッカー選手養成学校FTA』代表 宝槻慶仁

 2017/07/30 サッカー
 

プロサッカー選手を20人輩出した養成学校・FTA

サッカーをしている選手なら、やはり目標はプロ選手になりたいと思うものだ。
今回は、プロサッカー選手を次々と輩出している養成学校・フットボールトライアウトアカデミーの代表を務める宝槻慶仁氏を特集する。

TVに出ているJリーガーのようになりたい

1992年に日本初のプロサッカーリーグ・Jリーグが発足し、プロサッカー選手になりたいという子どもは増えている。それは民間調査会社などが行う「小学生がなりたい職業ランキング」でも表れており、プロサッカー選手が1位になることも珍しくない。

とはいえ、毎年Jリーグのクラブとプロ契約できる新人は、1クラブ1人か2人と少ない。
日本のサッカーの競技人口は約750万人と言われ、そこからプロになれるのは毎年100人ほどで、2万人の1人という確率も出ている。

狭き門であることに違いはなく、プロへの道も

・強豪とされる高校に入学し、全国大会で活躍する。
・高校で目が出なくてもサッカーの強い大学に進学して注目を集める。
・Jリーグクラブの下部組織にジュニア世代から加入し、実力競争に勝ち抜く。

といった方法が王道といえる。

厳しい世界であることには間違いないが、それでもプロとしてサッカーをしたいと思うプレーヤーは多い。

そんな志を高く持つプレーヤーを支援するのが、東京・世田谷にある「フットボールトライアウトアカデミー」だ。

「日本の王道と言われる方法以外でも、プロサッカー選手になれる道筋があることを伝えたい」

こう語るのは、代表を務める宝槻慶仁氏だ。
自身もプロサッカー選手になるために、努力を積み重ねたがケガもあり、プロ入りという夢を諦めざるを得なかった人物だ。

「兄がサッカーをやっていたこともあり、幼稚園の頃からサッカー教室みたいなものには通っていました。地元のチーム・武蔵丘FCに入って本格的に始めたのは小学校2年のときですね」

 宝槻氏が地元クラブに入った年は、Jリーグ開幕したばかりで、三浦知良、ラモス瑠偉、武田修宏ら活躍していた時期だ。

「ヴェルティの有名選手の姿を見て育ったので、将来、何になりたいって聞かれたら、自ずとサッカー選手って言っていましたね」

スター選手のプレーに憧れをいだき、自分もこうなりたいというのが始まりだったという。

選手を指導する宝槻氏・目は真剣そのものだ

小学校、中学校での経験がプロになりたい夢を膨らませる

宝槻氏が小学生のとき所属していた地元クラブは、指導者にも恵まれており、東京都の大会で優勝したこともあった。

「小学校の時は本当にいい思いをさせてもらいました。練習も楽しかったですし、チームの雰囲気も良かったですね。東京都の優勝はもちろん、関東大会出場など、当時としては高いレベルでプレーができているという実感も持てました」

中学に入ってからは、小学生時代に所属していたコーチの知り合いが指導をしていたというFC府中に在籍。地元に根ざしたチームということもあり恵まれた環境でサッカーができたと振り返る。

「ヴェルディのジュニアユースとか、FC東京(当時は東京ガス)のジュニアユースといったプロの下部組織チームの練習試合もやっていたんです。プロ傘下のジュニアユースとはいえ、同じ中学生ですし実力的な大差はないなと思ったのも事実です。このときから、強豪と言われる高校へ行き、高校サッカー選手権で活躍してプロに行くんだという気持ちは強くなっていきました」

プレーヤーとしてもレギュラーとして活躍し、自分に自信が持てたことも夢を膨らませられる要因になったともいう。

プロ入りした先輩を見て強固な決意に

プロ入りするためにどの高校へ進めばいいか。進路を考えていた宝槻氏にひとつの道を示してくれたのは、FC府中のコーチだったという。

「僕に助言をくれたコーチの息子さんが、国士舘高校に通っていたこともあり、行ってみないかと勧めてくれたんです。僕は、別の高校を考えていたのですが、国士舘高校の推薦試験のほうが早く行われ、運良く合格することができたので、別の高校を受験するのはやめたんです。受かるとうれしいですし、これからまた勉強っていう気持ちにならなかったのも素直なところですけどね(笑)」

自らもプレーをすることで指導する

宝槻氏が入学する前の国士舘高校は、全国大会出場へあと一歩の成績が続いていた。

「強豪校の多い東京で、全国大会へ出場できる可能性が高い高校で一生懸命やれば、夢は実現できるという思いは強くありました」

事実、宝槻氏が入学した年から3年連続で国士舘高校は全国高校サッカー選手権大会への出場を決めている。

「3年連続で出場したのは、今現在、僕らのときだけなんです。まさに奇跡ですよ。今振り返れば、小学校から高校までどれだけ恵まれた環境でサッカーをやれていたんだなと思います。だからこそ、僕自身が、プロサッカー選手になりたいという強いモチベーションを持ち続けられたんじゃないかと思います。2つ上の先輩がプロ入りした姿も間近で見ましたし。プロサッカー選手になるというのは、当然のような環境だったんじゃないでしょうか」

つらい練習も夢実現のために乗り越える

環境に恵まれているとはいえ、強豪の高校の練習はかなりハードだ。

「あの当時に戻りたいかと聞かれれば、絶対に嫌ですと答えます。それだけ練習はきつかったですから。でも、部員全員が、高校サッカー選手権に出場して優勝するんだという強い気持ちを持っていましたから、耐えられたのかもしれません。僕自身も絶対に、選手権で活躍してチームが優勝し、プロサッカー選手になるって思い続けていましたからね」

高校3年のときに足首を骨折するケガに見舞われたが、モチベーションが下がることもなかったという。精神的な落ち込みもなくケガを克服し、全国大会出場へ大きく貢献したという。

高校からプロへという道は叶わなかったが、専修大学へ進学して夢を追い続けた宝槻氏。

しかし、あるアクシデントが宝槻氏の夢を方向転換させることになる……。
<つづく>

松野友克●文・写真

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ライター紹介 ライター一覧

松野友克

松野友克

1976年、福島県南相馬市生まれ。
小学生のときは少年野球、中学・高校ではバレーボールに熱中していた。高校時代にスポーツ雑誌の仕事に携わりたいと上京を決意。日本ジャーナリスト専門学校卒業後、複数の編集プロダクションに勤務したのちフリーランスのライター・編集者として独立した。
多ジャンルの雑誌、ムック本・書籍を制作する中でプロ野球、女子7人制など多くのスポーツ取材を行う。趣味はスポーツ観戦、ゴルフ。

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