ブラジルのサッカーを取り入れプロサッカー選手を育成 FTA代表 宝槻慶仁
プロサッカー選手を育成する学校・フットボールアカデミー(FTA)の代表を務める宝槻慶仁氏
今や20人以上をプロの世界に送り出してきた実績がある。
前回の記事:20人以上プロサッカー選手を輩出する『プロサッカー選手養成学校FTA』代表 宝槻慶仁
そんな宝槻ももちろんプロサッカー選手を目指し単身ブラジルへと渡った。
そこで日本とは明らかに違う『ブラジルのサッカー』を知る事になる。
選手の育成方法もブラジルサッカーの考え方を取り入れ
今までの日本の教育とは違う指導方法で選手を送り出している。
Contents
ケガに苦しむもプロへの情熱は消えず
国士舘高校在学時に、インターハイや全国高校サッカー選手権にも出場した宝槻慶仁氏。プロになりたい夢を叶えるために、専修大学に進学し汗を流していた。
しかし、大学2年とき、利き足である右足の靭帯を負傷してしまう。
「高校3年のとき、足首を骨折したことがあったんです。最後の選手権の前に完治したのですが、そのあとの処置があまりよくなかったのかと……」
負傷した箇所は、高校のときに骨折したところと同じ。大学近くの整骨院で診断してもらうと、痛みが引くまで固定することを勧められた。
高校時代に完治している経験があるので、今回も治ると信じていたが、状況がよくなることはなかった。痛みがなくなり練習ができると思ったときに再び痛みが出る。そしたらまた固定してということの繰り返し。そんな状況が大学4年まで続いたという。
もちろん、本格的な練習ができない状況。プロを目指しているのに、この状況では・・・と悩みばかりが増えていった。
「インサイドキックだったり、ボールを巻くようキックだったりはできませんでした。やれることといえば、アウトサイドで蹴るぐらい。それでも、固定しないと痛みが出る体のバランスも崩れてくるわけです。普段も変な歩き方になってしまうので、足が変形しちゃって、靴底も右だけすり減っちゃうみたいな。本当に、どうしようもないなっていうかんじでした」
プロサッカー選手とは何かをしるためにブラジルへ
サッカーを辞めてしまおうと思っても不思議でない状況。しかし、宝槻氏は、プロという道を諦めることはなかったという。
「当時のコーチが、Jクラブのスタッフも兼任していた方で、サテライトチームなどと練習試合をすることもできていたんです。ケガをしていたとしても、プロの世界とつながっている環境に身を置いていれば、完治したときにチャンスが生まれるという感覚はあったと思います」
しかし、ケガが完治することはなく、大学卒業の時期を迎えてしまった。
このままプロサッカー選手にはなれないのか。
さまざまな不安がよぎるなかで、宝槻氏はひとつの決断をくだした。それは、ブラジルへ行くこと。
小さい頃からプロになりたいという夢を持ち、もし大学を卒業した頃に、日本でプロになれなくても、ブラジルに行ってプロサッカー選手になるということを思い描いていたからだ。
「プロサッカー選手になるっていうモチベーションは、ケガをしてからも全く消えなかったですね」
この熱意が宝槻氏を突き動かした要因だ。大学1年のときに短期でブラジルへ行っていたこともあり、サッカーの本場といわれる国の環境に触れていたことも大きいといえる。だが、ブラジルへ行くことの目的が変化するときがやってきた。
「今の状態でプロになれるのかっていう疑問を持った瞬間に、自分はプロを目指す資格がないって決めつけてしまいました。モチベーションもあり意識は高かったですが、悩んでしまった時点で、プロを目指す意識のレベルじゃないと思ってしまったんです。だから選手はやめようと・・・」
ひとつの大きな決断をした宝槻氏。しかし、ブラジルへ行くことは変えなかった。その理由をこう説明する。
「僕が目指していたプロサッカー選手とはどういうものなのかを追求したかった。指導者になるための勉強という目的もありましたが、一番知りたかったのが、プロサッカー選手というものが何かを知りたいという気持ちでした」
日本とは全く違った『ブラジルのサッカー』
自分がなりたかったプロサッカー選手とはどういうものなかの。それを追求するためにブラジルに渡った宝槻氏。
いろんなツテを辿って、有名クラブの下部組織やアマチュアチームなどにお世話になり、プレーをしながら勉強を重ねていった。最初に感じたのは、技術だけを考えれば、違いはないのではないかということ。
全国大会の常連校でプレーをしていただけあって、下部のチームであれば自分の実力でもできたのではないかと思ったという。
日本のサッカーは『過程』ブラジルは『結果』を大事にする
しかし、「今まで僕がやってきたのは、サッカーじゃなかった」と、根底を覆されるできごとに遭遇する。
お世話になっていたプロクラブで、ミニゲームの練習をしたときがあった。
そのとき、宝槻氏はキーパーを務めていたが、ゴールの後ろに試合に出ているはずの選手が何もせずにいたという。何をしているんだと不思議に思っていると、ゴール前にボールがきた。
すると、その選手はすぐさま動き出して、ゴールを奪ったというのだ。ルール的にはオフサイドなのだが、その選手はチームメイトに、祝福されヒーローのようになっていた。
「あの場面を目にしたときは、本当にカルチャーショックでした。日本なら、ゴールまでの過程を大事にするじゃないですか。きれいな崩しやポゼッションがなければゴールにはつながらないとか。でも、ブラジル人は、ゴールを奪うことこそが重要だという意識なんです」
それはプロクラブだけに限ったことではなかった。彼が選手としても参加したアマチュアリーグのクラブでも同じだったという。
「ブラジル人たちは、ゴールありきで手段を考える。形はその時その時で変化します。日本人はゴールという目的を達成するために何をするか、理想像に当てはまった結果、ゴールが生まれると考えがち。概念が全く違うわけです」
小さい頃から積み上げてきたものが瞬時に崩される。しかし、宝槻氏にとってはすばらしい発見だった。本場で体験したカルチャーショックが現在のFTA設立のひとつのきっかけとなっていく。
<つづく>
松野友克●文・写真
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