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極東の笛

 2016/10/10 サッカー
 

日本サッカー協会の1級審判員、そして国際審判員としても活躍して来た松崎康弘氏によるサッカーレポート 『ゴール!』 今回はワールドカップ・アジア予選 日本対イラク戦の選評。そしてイラクの監督やメディアが伝えた「審判が日本をサポートしていた」という発言について検証する。

ワールドカップ予選・日本対イラク戦

10月6日、埼玉スタジアムにイラクを迎えてのW杯最終予選。日本は、後半アディショナルタイムに山口蛍のボレーシュートによる得点。2-1で逃げ切った。

埼玉スタジアムのメインから見て左側のゴール。アディショナルタイムには日本勝利の女神がやってくる。2004年ドイツW杯アジア1次予選のオマーン戦、2005年ドイツW杯アジア最終予選の北朝鮮戦、同バーレーン戦、そして2011年ブラジルW杯3次予選の北朝鮮戦。9月1日のUAE戦に女神のご降臨はなかったが。今日は来てくださった。感謝。

主審、副審は、韓国の3人。第4の審判員は、シンガポール。試合後、レフェリーが負傷者の再入場を認めなかったから失点したとイラクの監督が審判批判したとの記事を読んだ。
それは違うだろ。そもそも負傷したとしての時間稼ぎは露骨だった。あの場で入場を認めさらなる時間稼ぎを許すほど、レフェリーはナイーブではない。

審判は約100ミリ秒のズレを克服してオフサイドを判定する

それよりも26分。清武弘嗣が右から鋭く低いクロスを上げ、原口元気がヒールで得点としたが、本田圭佑が清武にパスを送った瞬間、清武はオフサイドだった。
原口が日本ハーフ内でボールを奪い、清武にパス。清武はドリブルを経て本田圭祐にパス。本田は右に回り込んだ清武にパスをした。スピードある連携プレーだった。
スタンドから見ていて、ぎりぎりオフサイドじゃないか。そう思った。

しかし、プレーは続行され、日本の得点。嬉しかった。チェ副審の判定力の高さは素晴らしいと思った。だから、この得点の12分後にとても似たケースで岡崎慎司から酒井広樹にパスが渡り、旗が上がったときは驚いた。

パスや酒井の走り込みは、本田から清武のタイミングとほぼ同じだったから。どうして?

家に帰ってビデオで確認した。本田がボールを蹴った瞬間。清武は、やはりオフサイドポジションにいた。ただ、中央に1人イラクのディフェンダーがいるので、結構難しい判断だ。遠くにいるイラク選手の位置を見比べると、清武は体ひとつオフ。

フラッシュラグとは、動いている物体の位置が、静止している物体よりも運いている方向にズレて知覚される錯視。動いている選手を目で見る。

目が情報を得る、つまり、網膜に刺激が与えられる。そこから脳まで情報が流れるに時間が必要。約100ミリ秒後に脳で知覚されために起こるということだ。

そう見えてしまうのは致し方ない。だから副審は経験則を活かし、選手の走るスピード、ボールのスピードを計算。パスされた瞬間の選手の位置を頭の中で修正して、フラッシュラグを克服する。それで正しくオン、オフを判断するのだ。

韓国のチェ副審は、良い位置にいた。知覚位置修正なければ、清武はもっと前にいると判断されてしまう。ただ、修正が過ぎた。1人分後方に修正してしまったのだろう。オフサイドであったが、ノットと判定された。日本にとっては、ラッキーな審判のミスだった。

チェ副審。もしかするとこの判定に不安があったのかもしれない。12分後、同様なケース。チェ副審はより集中したのだろうか、正しく修正し、オフサイドと判断した。

中東のチームは、これが普通な感覚、試合運びなのだろう。イラクは60分の同点弾(とてもきれいなヘディングだった)後、明らかに引き分け狙いだった。アウェーでの引き分け。勝ち点1が喉から手が出るほど欲しい。

選手が倒れれば、なかなか立ち上がらず、コーナーキックとなればゆっくり歩いてコーナーキックに向かった。交代もゆっくりゆっくり。

なぜレフェリーは注意しないのか? 日本だと交代する選手に寄り添って、一緒に小走りする、強い注意、しっかりと警告などの対応をするが、キム主審はどっしりと構えていた。スタンドで見ている我々も苛立った。ようやく72分に遅延行為で警告。続いて、82分にも。

にもかかわらず、イラクは遅延作戦を続ける。レフェリーはドクターではないので、頭部の負傷などよっぽど明らかでない限り、負傷した選手に“続けられるか? ドクターが必要か?”と尋ねざる。

ドクターが1人でピッチから出られないと診断すれば、担架も呼ぶ。負傷者が発生した場合の進め方に基づいた対応だ。

時間稼ぎだと分かっていても、まずはそう対処せざるを得ない。歯がゆいところだ。しかし、試合の円滑な運営を考えれば、時間稼ぎにうまく対応する必要がある。ただただ選手の求めるように対応していたら、果たしてレフェリーが時間稼ぎに加担することにもなりかねない。

 アディショナルタイム。お仕着せどおり3分程度が示されると思っていたが、6分が示された。スタンドもざわめく。

これだけ負傷者がいて、交代も両チーム合わせて6回あった。イラクの選手は、それなりに時間をかけた。アディショナルタイムの6~7分は妥当だ。そして、そのとおり示された。イラクは大きく不満だ。

サッカー競技規則第7条

主審は、下記のように前半、後半に空費されたすべての時間を追加する

●競技者の交代

●負傷した競技者の負傷の程度の判断やフィールドからの退出

●時間の浪費

●懲戒の罰則

●競技会規定で認められる、飲水やその他医療上の理由による停止

交代や負傷者の対応、コーナーキックの際コーナーにゆっくり向かう。その分がアディショナルタイムとして充当追加されるのは、至極当然。

 後半のアディショナルタイム2分が経過したところで、イラクのスアド(14番)は倒れた。しかし、キム主審がプレーを切らなかったのでスアドはすくっと立ち上がった。

しかし、その後のプレーが切れたところで、再び倒れこんでしまう。吉田麻也が詰め寄って、時間稼ぎを非難する。ドクターも入って、結果的に試合再開まで2分もかかってしまった。

 その後、粘りに粘った吉田が相手にファウルを誘発させて、コーナー近くフリーキックを得る。イラクの選手はスアドが負傷から立ち直り、プレーに復帰できているとレフェリーにアピールするが、キム主審は認めない。良い。認めれば、ゆっくり歩いてピッチに戻り、さらに時間稼ぎをすることは必至だ。 

ナイーブ。もともとはフランス語。日本語では“素直な”とか“純粋”という良い意味と解釈されるが、フランス語本来は、お人よしとかうぶウブだということ。W杯最終予選。選手は百選練磨で、したたかだ。審判団も、決してナイーブではない。時には笑顔で、時には何もなかったように。また時には、厳しく試合を運営する。

極東の笛。イラクの監督は、帰国後そう言いだすのかもしれない。キム主審は日本にもイラクにも加担せず、ファウルはファウル、ノーファウルは、ノー。

試合時間も、負傷者の対応時間もしっかり考慮し、正しくアディショナルタイムが充当された。ただオフサイドが正しく判定されなかったこと。

これは、残念だ。我々からすると、キム主審の笛は日本人主審の笛とは違う。しかし、イラクの監督からすれば、同じような顔で、しぐさもレフェリングも日本人と同質に見えるのかもしれない。

【了】
松崎康弘●文
getty●写真

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ライター紹介 ライター一覧

松崎康弘

松崎康弘

JFA参与・元(公財)日本サッカー協会常務理事。元審判委員長
1954年1月20日生まれ、千葉県千葉市出身。

82年28歳でサッカー4級審判員登録。90年から92年、英国勤務。現地で審判活動に従事し、92年にイングランドの1級審判員の資格を取得。
帰国後の93年1月に日本サッカー協会の1級審判員登録。95年から02年までJリーグ1部の主審として活動し、95年から99年までは国際副審も務めた。
著書に「審判目線・面白くてクセになるサッカー観戦術」「サッカーを100倍楽しむための審判入門」「ポジティブ・レフェリング」などがある。

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