桐蔭学園(神奈川県)土屋恵三郎監督 3 ~選手の親にも心を馳せて~

選手の親に手紙をしたためる土屋監督

そんな教え子たちから、ここ数年「監督は優しくなった」と言われるようになった。むろん、それについては否定はしない。
年齢を重ねれば重ねるほど多角度からものを見るようになり、心を砕くことが増えたのは確かだからだ。

「例えば、その子だけでなく、その子の親の事も考えるようになった。うちは全寮制だから普段の生活は親は全くわからない。心配だと思うんですよ。だからこの夏、ベンチ入りできなかった8人の3年生の親たちへ、それぞれ自筆で手紙を出しました。今年の3年生たちはみんな本当によくついてきてくれたんです。メンバーには落ちたけど、立派な高校野球生活だったときちんと伝えたいと思ってね。」

メンバー発表した夜、自宅でペンを走らせた。思っていた以上に時間がかかり、書き終わったのが日付も変わった翌日の3時ごろ。
そのまま車を走らせ郵便局の本局へ持っていき、「どんなに遠い子でも一両日中には届く」と速達で投函した。受け取った親はさぞ驚いたに違いない。その週末には3年生の送別試合が予定されていたが、親も子もこの日一日を心おきなく楽しめたことだろう。

指導者生活の途中には、長男も野球部員となり親子鷹で甲子園をめざした。
「息子がいたときは、やはりどこかやりにくく、うまく使ってやることができなかった。」と夢叶わなかった当時を振り返る。

「それも全ていい思い出。たくさんの人との出会いなど、何ものにも代えがたい財産になりました。長いようで、あっという間の30年間でした。」

神奈川は熾烈。それでも神奈川にこだわる

最後に改めて、熾烈を極めた神奈川での監督業について聞いてみた。
最後の甲子園出場は2003年春。毎年、県大会ではベスト8を大方キープし、最後の5年間に限っては夏の大会で準優勝2回、ベスト4が2回、ベスト8が1回。しかし最後の夏も多くの人々の期待を集めながら、9年ぶりの甲子園には届かなかった。

「残念です。でも僕は川崎で生まれ、高校から社会人まですべて地元でプレーし、指導者としてもこの地で勝負ができた。これが東京でも千葉でも、埼玉でもダメなんです。厳しい戦いではありましたが、納得のいく野球人生。これからの神奈川は、私学だけでなく公立校も力をつけてくると思う。底辺が広がれば更に野球界の発展につながる。楽しみです。」

力をつけるには、やはり基本が大事だという。
特に、キャッチボールとトスバッティング。それを指導者がいかに根気よく選手に教えられるか、である。

「あとはバント。これさえできれば少なくとも勝負ができる。バントはできる、できない以上に失敗すると流れも相手にいってしまう。
野球はこの流れをいかにつかむかがポイントだから、流れをつかみ、相手に流れを持っていかれないためにも基本を大切にしてほしい」

土屋監督は、今後、弱いチームを強くする。そんな夢もあるんだと言う。
また近い将来、これまで以上に素敵な笑顔に会えることを期待したい。

藤井利香●文

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