『甲子園の心を求めて』都立東大和~片倉・宮本秀樹監督
現在、都立片倉高校で指導に当たっている宮本秀樹監督が、自費出版ながら本を出した。
タイトルは『「甲子園の心を求めて」と私』。高校野球のオールドファンならわかるだろう。
『甲子園の心を求めて』は、都立東大和高校を率い、東京都大会の決勝戦に二度コマを進めて(1978、85)都の野球を盛り上げた、佐藤道輔監督の有名な著書だ。
都立の星・東大和高校の佐藤監督の教え
宮本監督はこの佐藤監督の下で野球指導に関わった唯一の指導者で、自身の野球の原点は佐藤野球だと言ってはばからない。
宮本監督は大学生のときに佐藤先生を紹介され、その縁で卒業後赴任した学校に在籍していたときから頻繁に東大和に足を運び、野球指導のノウハウを学んだ。
その後、よもやの辞令で東大和へ異動し、これが長く高校野球に力を注ぐきっかけとなった。
「道輔先生に会わなかったらそこまで野球に力を入れることなどなかったよ」と苦笑するほど、人生のエポックとなる出来事だった。
宮本監督が本にまとめようと思ったのは、佐藤道輔先生の存在を知る人が少なくなったと感じているからだ。
すでに先生が他界して10年以上が経ち、当時の東大和の活躍や、『甲子園の心を求めて』をバイブルとする指導者も一握り。
それもそのはず。時は流れ、道輔先生の教えである「甲子園の心は日ごろのグラウンドにある」は、すでに世間の間で一般化され、その様子が雑誌やネットで日常的に報道されるようになった。
全員野球は哲学
高校野球の場合、他の競技と違ってその様子がちょっと美談にまとめられる傾向が強いのが気にならないではないが、言葉を変えれば、当時道輔先生が求めていた高校野球の姿が当たり前の風景になった、そう言えるだろう。
「全員野球」という言葉を使い、広めたのは道輔先生。それは精神でなく、哲学だ。宮本監督は、道輔先生からその言葉の意味をこう受け取ったという。
「全員野球はみんなが同じように練習することを言うのではない。例えば、1年生指導係がチーム全体の練習から離れて1年生と一緒にトレーニングするように、チームのためにおのおのが自分の役割に徹する。その大前提として、個人が自立することが大事。それを全員野球という言葉で表現し、当時愚直にやったのが道輔先生です。上級生が率先し、全員でグラウンド整備をやるというのも当時はとても珍しがられました」
『甲子園の心を求めて』の初版は、今から40年以上前の昭和51年に出版されている。
先生はその頃から、こうした思いで野球に携わってきた。時がもう少し過ぎれば、早半世紀。その原点を、唯一道輔先生のもとで野球に携わった宮本監督が本にまとめあげたというわけだ。
宮本監督の指導法
宮本監督自身、とてもユニークで個性的な指導者である。一味違う魅力ある人間性が、その後赴任した府中工を、また現在の片倉を強豪チームへと育ててあげた。とにかく、言葉の使い方がおもしろい。
例えば、練習試合でやや態度の悪いチームに遭遇したら・・・。
「おめ~らよ~、練習試合の相手、なくなんね?」
片倉に赴任後、野球バッグにでかでかと「片倉」と入れることを提案したときは・・・。
「いきなり勝とうというのは難しいが、とりあえず勝ったことにしちゃわない? 自分たちが甲子園に行った強いチームだと思って、このバッグを持って街を闊歩しろ。それに合うような人間にあとからなればいいじゃん!」
授業と野球指導の両方はとても忙しく大変だが、同僚の先生に対して・・・。
「この年まで遊ばせてもらっています!」
これはほんの一例である。型にハマらず、周囲に流されもしない。
そんな人柄を含め、拙著『監督と甲子園6 がんばれ公立高校』(2013年出版・日刊スポーツ出版社)で宮本監督について記しているので、こちらも今回の出版本を読むうえで参考になるだろう。
道輔先生とのかかわりのほか、本には片倉で2012年、西東京大会ベスト4になったときの話など、東大和時代以降の話も掲載されている。
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